学校法人 八千代台教会学園
三愛幼稚園
三愛だより(2022年3月号)
月の聖句:
わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる
マタイによる福音書28章20節
コロナ以前の年度末に実施していた年長組の「懇話会」の席では、次の一文を紹介していました。教会の三愛幼稚園が大切にすることを良く表していると思ってです。
「どうやって生き、何をして、何になろう?知らねばならぬ必要の全てを私は幼稚園で学びました。その知恵は大学院という山のてっぺんではなく、「教会の幼稚園」(原著には『日曜学校』)のあのお砂場にありました。学んだことは、以下の私の生き方のクレド(=信条)です。
みんなと何でも分け合うこと。ズルせず遊ぶこと。 人をぶたないこと。使ったら見つけた場所に戻すこと。ちらかした後はお片付け。お友達のものを盗りません。誰かを傷つけた時は先ず「ごめんね」と言いましょう。ご飯の前には手を洗って、トイレではお水を流すこと。温かいクッキーに冷たいミルクは美味しいね。バランスの良い生活を―毎日ちょっと学んで考える。お絵描き・歌・ダンス・遊びもちょっとずつ。仕事も毎日ちょっと。毎日のお昼寝だって大切です。お外に出たら車に注意、お友達と手を繋いで、離れてどこかに行きません。
『不思議だな』の気持ちを大切に―カップの小さな種を覚えておいて。根が出、芽が伸び、大きな草花に。でも何故どうやって育つのか?ホントは誰も知りません。 ―私たちみんなも同じです。金魚もハムスターも ハツカネズミもカップの小さな種だっていつかは死んでしまいます。―私たちもね。それから…あの読み書き絵本のはじめの言葉をずっと覚えていてね!何より大きな文字で書かれた一番大切な言葉を。『見てごらん!』」
(R フルガム『人生に必要なすべては幼稚園の砂場で学んだ』
原著All I really need to know I learned in Kindergartenより拙訳)
『見てごらん!』今月の聖句、マタイ福音書の結びの復活のイエス様のお言葉も、実はこの呼びかけから始まっています。「見よ、この私があなたたちと一緒にいるよ。全ての日々にこの世の終りまでずっと」(ギリシャ語原典からの拙訳)。コロナに対応しつつの園の営みももう2年になります。もっと沢山の経験が出来たのに!もどかしい思いでいっぱいになりますが、そんなこの2年の全ての日々にもイエス様が一緒にいて子どもたち一人一人に呼びかけて下さったこと、これからもいつも呼びかけて下さることを信じます。卒業式の聖句「見えないものに目を注ぐ」その目で見つめたいと願います。4月から小学生のほし組さん、一つ大きくなる在園の子たちもイエス様からの励ましを確かに受け、新しい一歩を踏み出されることを祈り願います。
園 長 山 本 信 義
三愛だより(2021年12月号)
月の聖句:
おめでとう、恵まれた方。
コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9節
♫アドベント・クランツに灯りがつくと神の子イエス様のお誕生が近くなる。まことの光イエス様のお誕生をみんなが待っています。♬元気な歌声に合わせ、週ごとに灯りを加えます。灯の心がみんなの心に点るように。
「一本目のローソク、やさしい心
二本目のローソク、丈夫な心
三本目のローソク、我慢する心
四本目のローソク、お祈りする心」
このように三愛幼稚園ではアドベント(待降節)礼拝を守って、イエス様お誕生のクリスマスを迎えます。先日最初のろうそくの灯を見つめつつ、やさしい心の女の人のお話をしました。今月の聖句はこのマリアにイエス様の誕生を告げに来た天使のあいさつです。「おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる。」でも、最初はただ戸惑うばかりです。その時のマリアはこれからヨセフと結婚する女の人と言うより女の子だったからです。「結婚より先にお母さんになるなんて!」訳も分からず怖くて考え込むマリアを、天使は励まして神様のご計画を伝えます。「お腹に宿るのは神様の子ども。聖霊の力があなたを包みます。神に出来ないことは何一つありません。怖がることはありません。」マリアは信じて答えます。「お言葉通り、この身になりますように」
礼拝の折、子どもたちに見せた場面の絵。西欧の受胎告知の絵画同様、天使の手には、偽りない真実を現わす白い「ゆり」の花が。遠くの東からベツレヘムまでイエス様を拝みに、諦め挫けず旅をした「丈夫な心」の博士たちは「ほし」に導かれて。クリスマスの夜、ベツレヘムの空に響くイエス様誕生の嬉しい知らせを聞いたのは、寒さに負けない「我慢する心」で野宿していた「ひつじ」飼いたちでした。コロナで今年もお家の方々を招けないアドベント礼拝ですが、三愛の子たちみんながイエス様お誕生の嬉しい知らせをきっとお家に届けてくれるでしょう。一緒にお祈りしてクリスマスを迎えましょう。
ほし組はページェント。役も決まってお家でもみんな練習していることでしょう。マリアとヨセフ、天使たちにお星さま、羊飼いたちに三人の博士、宿屋さん…。遊びの時間の園庭のあちこちでも、いろんな場面の歌声が聞こえてきます。クリスマスの日には、その歌声が一つになって、飼い葉おけの赤ちゃんイエス様を恵みの光の中に映し出す、素敵なページェントをお捧げ出来ますように。クリスマスのイエス様を今年もみんなで嬉しくお迎えできますように。
園長 山本 信義
三愛だより(2022年2月号)
月の聖句:
その家に入ったら、『平和があるように』と
挨拶しなさい。
マタイによる福音書 10章13節
三学期開始以来、オミクロン株感染が止めどなく拡大中です。近隣の学校・幼児施設の出席停止・休校・休園が次々伝えられる中、当園でも毎朝お休みの子の名前を確かめ教職員のやり繰りを確認する、まさに水際の状況ですが、日常の保育活動を続けさせていただいています。お子様方を送り出されるご家庭とお休みの判断されたご家庭、双方の配慮・理解・協力の上でこそ、今日も園が開けられるのだと改めて感謝を覚えるこの折です。
しかし心騒ぐこの折に今月の聖句は無配慮なものと響くかもしれません。「その家に入ったら『平和があるように』と挨拶しなさい」。少しでも接触を避けねばならないのに家を訪ねるなんてトンデモナイ!「平和が」何て暢気なことを!でもイエス様は無配慮に言われたのではありません。ご自分の弟子にあらゆる病気や患いを癒す力を授けて遣わすに当たり言われました。どこにでもではなく「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい」と命じられたのです。これは中風の男を元気づけ癒された一月の聖句の続きです。町や村を残らず回り、ありとあらゆる病気と患いを癒されたイエス様は「群衆が飼い主のいない羊の様に弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」ました。その憐れみを確かなものと伝えるために弟子たちを遣わしたのです。遣わす先でご自分の「平和」を成し遂げるために。
元々の文章でこの個所を読むと実は「平和があるように」との台詞はなくただ「挨拶するように」と書かれています。イスラエルの人にとって当たり前の挨拶の言葉だからです。直接声をかけられない時にも、思いを伝えることが出来るのだな、と教えられる気がします。
「郵便ごっこ」がほし組発信で始まりました。「お勉強の時間」を特に設けない当園のこの季節恒例の遊びです。自分ではがきを書いて届ける中で、自然に言語能力を培うことがねらいです。読み書きも勿論ですがもっと身に着けたいことがあります。お友達・先生に、「お手紙が届いて嬉しい」「お返事が来て嬉しい」って声が聞こえます。ゆり組・ひつじ組さんも誘い園全体に広がる遊び、お休みのお友だちにも届くと素敵ですね。自分の思いを郵便で誰かに伝える喜びをこそ一人一人が覚えて欲しいと願います。三学期はあっという間に半ばを迎えました。年長ほし組は卒業の準備へと向かいます。難しい事態の中ですが一年の締めくくりの時、各ご家庭に「平和があるように」と願います。
園 長 山 本 信 義
三愛だより(2022年1月号)
月の聖句:
子よ、元気を出しなさい。
ヨハネの手紙Ⅰ 4章16節
クリスマスで終えた2学期。冬休みを夫々のご家庭でどうお過ごしになられましたか?我が家では12月14日に第一子長女を授かり私は53歳にしてパパになりました。予定日の30日に我が家(この度近くに引っ越しました)に迎えての子育て開始と、初めて尽くしの新年となりました。娘は香理須(カリスは聖書のギリシア語の「恵み」)と名付けました。どうぞよろしくお願いします。
元気な産声を上げてくれた香理須ですが、予定日2週前の帝王切開での出生後5日より10日ほどGCU(Growing Care Unit)に入院しました。何分小さく、哺乳中の呼吸(息継ぎ)がまだ上手く出来ず飲む力をつくまでケアが必要とのこと。娘は病院の保育器に委ね父は見守るばかりでしたが、一日二時間の面会に産後の連れ合いと交代で通いました。同階のナースステーションの向こうはNICU。懸命に生きる産まれたての小さな命と、これを助け働く沢山の医療従事者の方々がクリスマスの時にもおられると図らずも教えて戴く機会となりました。
今月の聖句でイエス様が呼びかけられるのは中風の病人です。身体の不自由な彼を癒していただこうとイエス様を頼りに仲間たちが寝かせたまま床ごと担ぎ連れてきたのです。彼らの信仰を見て開口一番「元気を出しなさい」と励まされました。大の大人に「子よ」と親しく呼びかけ、寝たきりの人を権威ある言葉で起こされました。
コロナ二度目の新年が明けるやο(オミクロン)株の感染拡大が気懸りですが、今日より始まる三学期は締めくくりの時です。力合わせる三愛の子たちを励ますイエス様の声が聞こえてくる保育となりますように。
園長 山本 信義
三愛だより(2021年11月号)
月の聖句:
わたしの恵みはあなたに十分である。
コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9節
緊急事態宣言も開けた台風明けの秋晴れの空の下、運動会ではみんなで「神様が下さる力」を発揮しました。翌週のお芋ほりの二日間もお天気に恵まれて、沢山の秋の実りを子どもたち皆手にすることができました。でもネコの目の如く変わる秋の空、生憎のお天気でほし組さんはなかなか冒険に出かけられません。十月のうちに心地よい秋風の中、「なないろ山」に出発できます様に!
二学期も守られて折り返しを過ぎ、三愛の子どもたちそれぞれの確かな成長を感じられる折でもあります。でもコロナ禍の事情も相まり、お隣の子の姿とつい比べて気になる思いの起こる折と言えるかもしれません。
大正の詩人、金子みすゞにこんな詩があります。
「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうにたくさんな唄は知らないよ。
鈴と小鳥とそれから私、みんな違ってみんな良い。」
個々人の能力・素養・個性を、聖書は「賜物」と言い表します。各人が各人に相応しく神様から賜った贈り物と受け止める言葉です。でもこれを記すパウロ自身も、自分自身の「賜物」は容易には受け入れ難かったようです。それを「一つのとげ」と呼び、何とか取り去って欲しいと三度主イエスに祈り願ったと赤裸々に記します。祈りの中で得たイエス様のお答えが今月の聖句です。
「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。賜物は聖書のギリシア語ではカリスマ、主イエスの恵み(カリス)がそれぞれに相応しく一人一人に与えられたものが賜物なのです。そしてこれをいただいた良いものと見出し受け止めることを「感謝(ユー・カリス)」と呼ぶのです。
園庭の実のなる木、キウイとミカンも少しづつ大きくなりました。今月の収穫感謝祭にはみんなで集めて嬉しくいただきましょう。深まる秋の中、三愛幼稚園はクリスマスの備えを始めて行きます。神様が下さった一番で唯一の恵みの贈り物の赤ちゃんイエス様をお迎えする準備です。「みんな違ってみんな良い」三愛の子どもたちの賜物が合わさって、今年も素晴らしいクリスマスをみんなで迎えられますように。ご家庭の上に、祝福をお祈りいたします。
園 長 山 本 信 義
三愛だより(2021年10月号)
月の聖句:
あなたがたの名が天に書き記されて
いることを喜びなさい。
ルカによる福音書10章20節
爽やかな秋晴れの中本稿を書いていますが本号がご家庭に届く時は雨降りの最中でしょうか?緊急事態宣言明けに鑑み一週延期の運動会前に来そうな台風十六号。ウェザーニュースの進路予測と睨めっこの毎日です。今月はお芋ほりに冒険ごっこ、スマホの天気予報から目が離せない日が続きそうです。でも衛星画像が何時でも一目で見られるとは便利な時代になりました。バス通園のご家庭にはお馴染みのバスアプリも衛星技術の賜物です。小さな園のバス一台の現在位置がすぐ判るって、動物門で待つ折開いては一寸驚き不思議な気持ちになります。
ほし組が夏に元気に歌った「ロケットにのって」もそんな気持ちの讃美歌です。ロケットから青い地球を見るみんなは「星の国の子どもたち」。夜空の輝く星々を見上げるみんなは「神の国の子どもたち」。そして今月のほし組の「そのかずいくつ」も、その無数の星を全部数えてちゃんと覚えておられる神様を唄います。「ロケットにのって」も坂田博夫さん(「さっちゃん」が代表作)作詞の私も子どもの頃より馴染の歌ですが「そのかずいくつ」の歴史はもっと古く19世紀のドイツに遡る子供の歌です。日本の子どもたちにこの歌を伝えたのはキュックリッヒという人です。この方は幼稚園発祥のドイツの牧師家庭に生まれフレーベルに幼児教育を学び、大正11年に幼児専門のアメリカの宣教師として来日されました。戦前は紡績工場のあった墨田区の鐘ヶ淵で戦後は埼玉加須で、教会と共に貧しい子供たちのための愛児院を設立し、東洋英和を始め各学校で保育者を育成され、終生日本の子どもに神様を伝えることに力を注がれました。
朝に起きる子どもその数幾人
一日嬉しく遊ぶは幾人
神様は子どもたち一人を一人を
守りて導いて能く知り給う♪
(幼児さんびか21番「そのかずいくつ」3節より)
大人でも難しい昔の日本語の歌詞はドイツの原曲(今もYouTubeで可愛いアニメ付きで視聴できます)ほぼそのままの翻訳です。お造りになったすべてのものを「数えて覚えてその名を喜んで呼んで下さる」神さまを思い起こし、一緒に歌います。台風一六号と共に緊急事態宣言も明けそうです。感染防止に今一度気を配りつつ、秋の幼稚園の毎日を重ねていきます。三愛の子どもたち、関わる全ての人一人一人の名を覚えて「天に名を刻んで下さる」神様への信頼を確かめて歩んでいきたいと願います。祝福をお祈りいたします。
園 長 山 本 信 義
三愛だより(2021年9月号)
月の聖句:
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書13章34節
オリンピック中、月が替わるやここ千葉にも緊急事態宣言が発令され、お盆に肌寒さを覚える長雨の中デルタ株感染拡大が日々報じられ、各ご家庭で出来る限り注意していても、夏の報告を語らうことすらも躊躇われる様な、何とも重苦しいコロナ禍2年目の夏休みでした。
それでも先週は帰ってきたギラギラした夏の太陽の下、ほし組の一日花見川スイミングでのプールに始まり夏期保育の4日間、日焼けした笑顔の三愛の子どもたちと一緒に過ごせました。午前保育の夏期保育はスイカ割り・水遊び・8月のお誕生会の定番プログラムを感染防止に配慮し行いました。初日スイカ割りの目隠し豆絞りは一人一枚、割ったスイカは(勿体ないけど)戴きません。馴染みの八百屋に割る用格安スイカと無理を言い、その分食べるのに店一番の山形ブランド物を買いました。二日目の水遊びでは、電動空気入れを買い今年初登場の大きなビニールプールにも一度に五人の人数制限。シャボン玉も控えめに、友人牧師のお裾分けの(彼も子どもたちのためネット購入)水風船も遊びコーナー分散の一助にと導入しました。園長なりに考えての微力な努力です。その一つ一つを見つけ受け止め、笑顔で言ってくれる「園長先生、ありがとう!」の子どもたちの沢山の声に何より励まされた先週でした。
全園児集合とはいかなったこと、現在の状況では当然ですが、やはり寂しいことです。園へとお送り下さるにも控えられるにも、専ら各ご家庭の判断にお委ねする他ないことをまことに心苦しく思います。幼稚園では八千代市の施策で全教職員2回のワクチン接種を完了しましたが、更に細やかな感染防止に心懸け、二学期を始めて参ります。改めてのご理解・ご協力をお願いします。
「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」今月の聖句は「神・人・土への愛」を解く北欧由来の三愛主義を、当園の保育指針と理解する鍵としている主イエスのお言葉です。この愛が園児一人一人に育まれるには「愛されている」と実感できる日々の積み重ねを!教職員一同、改めてこの聖句に聞き2学期を始めます。運動会・お芋ほり・ほし組は冒険ごっこ、多くの行事の秋、今できる仕方を工夫して計画を始めています。イエス様が、子どもたちの毎日に注がれる愛を、一つずつ伝えていく機会となりますように。三愛の子どもたちとご家庭に祝福を祈ります。
園 長 山 本 信 義
三愛だより(2021年夏期号)
月の聖句:
憐み深い人は幸いである。
その人たちは憐みを受ける。
マタイによる福音書5章7節
今年も梅雨明けを前に終業日を迎えます。それでも、一学期最後の一日保育の月曜は夏本番先取の晴れの日、お庭で今年最初のプール遊びを子どもたちは楽しむことが出来ました。私は教会の会合で出かけ一緒に遊べませんでしたが、笑顔ではしゃぐ子どもたちの姿を帰宅後ビデオで楽しませてもらいました。七夕の短冊を飾ってのお誕生日、お昼からは晴れてお庭一杯で遊ぶことが出来ました。天候不順な季節にも相応しい時が与えられて、三愛の子たち一人一人が育まれた一学期に感謝です。
この季節の私の小さな仕事?はニワカ「昆虫がかり」。園向かいの我が家のキンカンにつくアゲハの幼虫を飼育かごに移して育てます。カブトムシは教会員宅のお庭に飛んできた雄一匹と去年産んだ卵の幼虫が羽化した雌で一つがい、外廊下の一角が小さな昆虫コーナーです。七夕明けの雨の朝、三つ目の蛹が孵りクロアゲハ蝶になりました。羽を伸ばした綺麗な姿を、次々と子どもたちが見に来てくれました。雨のせいか枝の上で羽を広げても中々飛び立たない様子、小さな指で羽に触れてみる子も。「優しくね」と声をかけ暫くその姿を楽しみました。カブトムシも籠から出し、子どもの体操服に着けてカブトムシバッチ。近寄ってきた子が背中や角にそっと指を伸ばします。お隣のほし組にも見せに行こうと、カブトムシを手に向かう階段下で「園長先生」と呼ぶY君。振り向くと私の足元を指さし「アリさん踏んだよ」と。可哀想なことしましたが小さな命に触れながら子どもたちに育まれる憐れみの心を知った思いがしました。
8月の聖句に出てくる「憐れみ」とは聖書が教える「愛」の一つの現れと言って良いでしょう。私たちの園名に込められた願いを、イエス様が教えられた山上の説教のこの言葉に改めて思います。土(園)と人(お友達・先生)と神様に、沢山愛されてこそ沢山愛する子どもに育まれる。そういう園の日々をコロナ二年目の中でのこの一学期も与えられたことと信じて、感謝を覚える者です。
不安定な空模様がいま暫く続きそうな様子ですが、学期最後のほし組の「お楽しみ会」の日も、神様が相応しい良い一日を下さいますように。なかなか収束の見えないコロナ禍の中ですがそれぞれにご計画されている夏のご予定、家族で過ごされる日々が、豊かに祝福されますように。それぞれのところで、ともにおられるイエス様のお守りの中で、身体も心も豊かに一回り成長した子どもたちみんなと、また会えることを楽しみにしています。
園長 山 本 信 義
三愛だより(2021年7月号)
月の聖句:
勇気を出しなさい。
ヨハネによる福音書16章33節
一学期も三か月が経ちました。雨間にも晴れた時が多い今年の梅雨、園庭からは今年のダンス曲が元気な笑い声と共に我が家にも届いてくる今日この頃です。
♪何でもできる どこでも行ける 元気よく歩こう
~晴れた日もあれば 雨の日もあるさ~♪
「なんでも行進曲」のこのフレーズ通りの6月ですが、雨雲の合間に顔を覗かせる陽射しの下、園庭狭しと園児たちの遊ぶ姿が見られます。今年のひつじ・ゆり担任の二人の先生方も随分慣れそれ以上に三愛の子たちはすっかり慣れて園を自分の場としている様子です。毎日お気に入りの場と友達を見つけ、様々に遊びが広がります。
一昨年までの私の仕事はそんな子供たちの日常のビデオ撮影。お見せする懇話会がコロナで見合わせでサボっていましたが、先日の新年度の説明会向けにカメラを回しました。編集の折、四月と六月の姿を見比べて驚きました。変わらぬ毎日の繰り返しに見える園生活の中で、それぞれの子が確かに育まれていると気付いたのです。新鮮な思いと共に、説明会に来られたお家の方にお見せしながら、英国の文筆家の次の一文を思い出しました。
「太陽が毎朝東の空から昇るのは、昇るのに飽きることを知らぬからだ。毎日同じことを繰り返すのは、生命が無いからではなく、生命に溢れているからなのだ。…面白い遊びや冗談が見つかった時、子供はどうするか。同じことを飽くこともなく繰り返しているはずだ。子供がリズムに合わせて足で地面を蹴り続けるのは、活力が足りないからではなく、あり余っているからだ。子供は活力に溢れていて、力強く自由な精神に恵まれているからこそ、同じことを何度でも繰り返し続けて飽きることを知らぬのだ。子供はいつでも『もう一度やろう』と言う。大人がそれに付き合っていたら息も絶え絶えになってしまう。大人には歓喜して繰り返すほどの力がないからである。しかし神はおそらく、どこまでも歓喜して繰り返す力を持っている。きっと神様は太陽に向かって言っておられるに違いない―『もう一度やろう!』と」 (チェスタートン『正統とは何か』より)
今月の聖句は「勇気を出しなさい」です。イエス様が励ます呼びかけに聴き、三愛幼稚園はあと数週間の一学期を過ごします。雲間から夏の太陽が顔を覗かす日には水遊び・泥あそび。七夕の日はお誕生会。ほし組さんは、お楽しみ会がもうすぐですね。お庭にプールも出せるかな?チャレンジも一杯な時です。三愛の子どもたち一人一人、どんな成長を見せてくれるでしょう?勇気を頂き元気に過ごして行きましょう。
園長 山 本 信 義
三愛だより(2021年6月号)
月の聖句:
野原の花がどのように育つかを考えて見なさい。
ルカによる福音書 12章27節
関東地方はまだ梅雨入り前なんて信じられない、ぐずつく空模様の多いこの頃です。雨の日、ゆり組前の階段下はおままごとのお家。段ボールの壁には扉も窓も開けて…、出すごとに少しずつグレードアップして素敵な空間となっています。その横を男の子達は電車ごっこ。八千代市のまん延防止重点措置も暫く続きそうな中、出来るだけ密を避け、外廊下もそれぞれの子の思い思いの遊び場となっています。雨上がりの水たまりに喜々として走って行く長靴の子も。バシャバシャ跳ねてお家ではお洗濯大変でしょうけど、楽しいものね。そんな雨振りの日には「恵みの雨に、お庭の木や花が喜んで輝いています」とお祈りで覚えます。
今月のひつじとゆりの讃美歌はそんな恵みの雨をうたいます。作者の中田羽後は八千代市にあって千葉有数のキリスト教学校でもある千葉英和高校の創立者の一人です。羽後は敗戦後の大阪行きの汽車の車窓に見た光景からこの歌の生まれた時のエピソードを記します。「パラパラおちる雨よ雨よ、パラパラパラと、なぜ落ちる?、乾いた土をやわらかにして、きれいな花を咲かすため。」この歌が広がる一面の焼け野原を眺める羽後の心に自然と浮かんできたのだそうです。
雨を受け、背を伸ばし花開かせる園庭の草木は教会のおばさん方や則子先生が季節ごとに植えお世話して下さっています。イエス様はガリラヤ湖の畔に美しく咲く自然の花を指さし「どのように育つか(よく見て)考えなさい」と弟子たちに尋ねて、教えられました。「お花は自分で働けないけれど、あのソロモン王もこんなに着飾ってはいませんでした。こんなに綺麗に装ってくださったのは神さまです」と。「花」は文語訳聖書では「野の百合」でした。三愛幼稚園の「ゆり」組はこのイエス様のお言葉から来ています。そのゆり組は朝顔、ほし組はホウセンカ、お水をあげる度、自分の植木鉢をのぞき込んでは、大きくなる芽を確かめ喜ぶ子どもたちの姿が見られるこの頃の毎日です。大きく繁った葉っぱの陰に、ダンゴ虫やかたつむりを見つけて喜ぶ声も聞こえます。枯れたかと思ったけれどちゃんと芽を出して青々と茂った山椒にはアゲハの幼虫が見つかるかもね。お庭の自然に沢山触れる毎日の中で、三愛の子どもたちの心を神さまが柔らかく耕して、豊かに大きく育てて下さいますように。その一つ一つを見つけて一緒に喜ぶ6月となりますように。
園長 山 本 信 義
三愛だより(2021年4月号)
月の聖句:
わたしは良い羊飼いである。
ヨハネによる福音書 10章14節
4月を迎え三愛幼稚園の新しい1年が始まりました。1つお兄さん・お姉さんになったほし組・ゆり組のみんなに、新しいひつじ組のお友達が加わります。新しい2人のお母さん先生も加わって、みんな一緒にで元気に仲良く1年を過ごしていきましょう。
三愛の年少が「ひつじ」とはこの幼稚園をよく表していると思います。一匹ではなく群れになって一緒に生きるからです。羊の群れには羊飼いが欠かせません。良い羊飼いは青草の野原・新鮮な水場に導き養います。悪い狼や泥棒からは、命がけで戦って羊を守ります。百匹の群れの一匹が迷子になっても、探してちゃんと見つけます。どの一匹も覚えているからです。残りの九十九匹は置いてけぼり?いいえ、みんなのことを忘れません。それぞれの名を呼んで大きな腕で集め、懐に抱いて守ります。羊たちも羊飼いの呼ぶ声をちゃんと聴き分けます。羊は良い耳を持っているのです。
園長の私は教会の牧師(羊飼い)が本業です。とても良い羊飼いとは言えませんが。「私は良い羊飼い」と言われたイエス様とイエス様のお父様の神様を信じています。三愛幼稚園はそんな「良い羊飼い」なる神様が守られる教会の幼稚園です。神様が集めて下さった三愛の子どもたちが、この1年も神様の愛を一杯に養われ成長しますように。お一人一人に祝福を祈ります。
園長 山 本 信 義