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三愛だより(2023年3月号)

月の聖句:  

   強く、雄々しくあれ

              ヨシュア記1章5~6節

 コロナ前の年長組の「懇話会」で紹介していた文章です。随分昔に流行ったエッセイですが三愛幼稚園が変わらず大切にしていることを良く表していると思います。

 

「どのように生き、何をして、何になろう?知る必要のある全てのことは幼稚園で学びました。その知恵は大学院という山の頂上じゃなく、「教会(原著には『日曜学校』)の幼稚園」の砂場にこそありました。学んだ次のことは、私の生き方のクレド(=信条)になっています。

  何でも皆で分け合うこと。ズルしないで遊ぶこと。  人をぶたないこと。使ったら見つけた場所に戻すこと。ちらかしたらばお片付け。お友達のものを盗りません。傷つけたお友達には先ず「ごめんね」と言いましょう。   ご飯の前には手を洗って、トイレではお水を流すこと。

 温かいクッキーに冷たいミルクは美味しいね。バランスの良い生活を―毎日ちょっと学んで考える。お絵描き・歌・ダンス・遊びもちょっとずつ。仕事も毎日ちょっと。毎日のお昼寝だって大切です。お外に出たら車に注意、お友達と手を繋いで、離れてどこかに行きません。

 『不思議だな』の気持ちを大切に―カップの小さな種を思い出して。根が出、芽が伸び、大きな草花に。でも何故どうやって育つのか?ホントは誰も知りません。 ―私たちみんなも同じです。金魚もハムスターも ハツカネズミもカップの小さな種だっていつかは死んでしまいます。―私たちもね。それから…あの読み書き絵本のはじめの言葉を忘れないでね!一番大きな文字の一番大切な言葉です。『よく、見てごらん!』」

(R フルガム『人生に必要なすべては幼稚園の砂場で学んだ』原著All I really need to know I learned in Kindergartenより拙訳)

 

 もうすぐ卒業を迎えるほし組さん、思えば丸々三年間がコロナの中でした。でも出来る形で必要なことはちゃんと身に着けました。その子なりに成長した姿が頼もしく、これから益々伸びて行くと確信し励まされる思いを重ねるこの頃です。三月の聖句は四十年の荒野の旅を経、約束の地に入る民の新しい指導者ヨシュアに「あなたと共にいる」と励ます神さまのお言葉です。小学校に進む卒業生、一つ大きくなる在園生、みんなへのエールと聞きたいと思います。世の中も大きな区切りとなるらしいこの年度末、心配なことも一杯ですが「強く、雄々しく」進みましょう。「どんなときにも」イエス様の愛を注がれた三愛の子どもたち皆が、勇気を胸に、新しい「はじめの一歩」を踏み出していくこと信じ、祝福を心よりお祈りします。        

                       園 長  山 本 信 義

2月
三愛だより(2023年2月号)

月の聖句:  

   ここに愛があります。

      ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節

 十年に一度級の記録的寒波はここ千葉にも。カラカラ天気で乾いたグランドに、子どもたちの歌う「ぱらぱら落ちる」の雨が「渇いた土を柔らかにして…」宜しくせめて水撒きをと見てみると先ずホースもカチカチ!。「グランド整備も考えねば」と悩ましく思う園庭でも、寒さに負けず、支度を終えるや園庭で遊ぶ年中少の子どもたちの姿を門扉から眺めて頼もしく思うここ数日です。お砂場の砂をこの北風が持って行きませんように!

 朝、中々園庭に出てこられないほし組さん。この季節恒例の「郵便ごっこ」が始まっているからです。家族の方に、お友達・先生に、自分ではがきを書いて届けます。「お手紙が届いて嬉しい」「お返事が来て嬉しい」って声が聞こえます。ゆり組・ひつじ組さんも誘って園全体に広がります。郵便で自分の色んな気持ちを誰かに伝えられるって素敵ですね。幼児教育の場で身に着けたい「非認知能力」とは自立する力と共に共感する力です。三愛の子それぞれがこの遊びを通してもその力を自然と培って育まれていって欲しいと願うものです。

 先日、キ保連のオンライン講習会に学びました。主題は「もしかして、愛着障害?~気になる子どもの理解と対応について」。最近、発達上の難しさを持つ子が増えている?その要因の一つに乳幼児期の安定した愛着関係から考える視点が求められるという話でした。親の不適切な対応(マル・トリートメント)との言葉と事例とに、一歳になる娘への自らの子育ても顧み様々に思いを巡らす機会となりました。しかし、愛着関係で傷ついた子も、愛される経験を得ることで回復する力を持っている。親としても園長としても、励まされる示唆でした。

 今月の聖句の聖書の頁は愛を巡る言葉で一杯です。

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。…神は、独り子を世にお遣わしになりました。…ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。神がわたしたちを愛して…御子を…ここに愛があります」

 一年の締めくくりの3学期はあっという間にもう半分。残り僅かな3学期、寒さに負けずに、みんなで過ごしていきたいと思います。「三愛」の名に込められた祈りの通り、イエス様に示された神様からの愛をみんなで確かめられる保育の中で、夫々の子が力強く豊かに育まれる日々となりますように。祝福を祈ります。

                       園 長  山 本 信 義

1月
三愛だより(2023年1月号)

月の聖句:  

   一緒に喜んでください。

      ルカによる福音書 15章1~7節

 冬休み、いかにお過ごしになられましたか。牧師兼務の私は25日クリスマスと元旦が日曜日。大勢の方が集うとは行かぬ状況ですが、教会の礼拝で年末・年始とクランツの灯を点して新しい二〇二三年を迎えました。幼稚園でもクリスマスで冬休みでしたね。お休みになっちゃったお友だちもいて、先生たちも残念でしたけど、三学期はお守りの中、みんな元気で過ごせますように。

 ほし組さんのページェント、イエス様のお生まれの知らせを最初に聞いたのは羊の番をする羊飼いでした。今月の聖句も羊飼いのお話です。百匹もの群れを飼っていたと言います。ある日群れの一匹が迷子になりました。一匹くらい居なくなっても仕方ない?何せ百匹の群ですから、そもそも気付かないかもな、とも思います。でも、その羊飼いはいなくなった一匹を捜し歩くと言います。何処までも、見つけ出すまで。神様ってそんな方です、とイエス様は譬えて教えられたのです。遂に見つけたその羊、羊飼いは担いで家に帰ります。羊は喜んだことでしょう。それ以上に喜んだのが羊飼いです。みんなを集めて、その喜びを分かつのです。「いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んでください」と。

 今日から始まる一年の締め括りの三学期、寒さ深まり心配もまだある中ですが、三愛の子どもたちが神様に励まされ、みんなで喜びをいただく保育の日々となりますように。祝福を祈ります。 

                       園 長  山 本 信 義

12月
三愛だより(2022年11月号)

月の聖句:  

   わたしの隣人は誰ですか。

            ルカによる福音書 10章25~37節

 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 「良きサマリア人」と知られるこの譬えをイエス様は、今月の聖句で問う律法学者に答えて語られました。「永遠の命を得るのに何を行えば?」と先ず尋ねたこの人は「心から神を愛し、隣人を愛しなさい」と、彼も自明の律法を「行え」と示され、自分を正当化しようと言いました。「わたしの隣人は誰?判ればその人を心から愛します」。

 しかしイエス様のこの譬えを聴く度に自らを省み、愛すべき人を愛することの難しさを思わされます。この祭司やレビ人の様に厄介事には関わらず、傷ついた仲間を見過ごし過ぎ去ることの如何に多い事でしょう。

 けれどもあるサマリア人は助けます。近寄って傷を手当てし、宿に連れて行き介抱し、相当の費用を支払って宿の人に委ねます。しかもこの人はユダヤ人とは無関係むしろ疎遠のサマリア人です。これほどのことをしていただいたなら…。人は心から愛されてこそ、愛する者となる。これがこの譬えの教えだと思います。何故サマリア人はそこまで?「憐れに思った」からです。ただの同情に留まらぬ「心底痛む」強い意の語で綴られます。そこまで愛して、わたしの隣人となってくださった方。それがこの譬えを語るイエス様そのお方に他ありません。

 イエス様のこの譬えは「神と人と土」三つの愛を掲げる私たちの園の名の心となっています。園での生活で、先生たちお友だちと出会っていく子供たち。過ごして行く毎日に「愛されて愛する」経験があるように。わたしの隣人と出会う時があるようにと、祈り願います。

                       園 長  山 本 信 義

三愛だより(2022年4月号)

月の聖句:  

わたしの助けは来る

天と地を造られた主のもとから。

詩編 121編1~2節 

 卒業生が植えたチューリップ、花壇のビオラ、大きな桜も花を咲かせました。5匹のウサギも元気一杯。昨冬の雪で見上げると大穴だったテント屋根も、春休みに貼替えました。園庭はみんなを迎える準備万端です。三愛の子どもたち今年は46人でスタートします。

 ほし・ゆり・ひつじ、今年は全クラスに新しいお友だちが加わります。特に新入園の子さん方には、お家を離れての初めての時間です。ドキドキしているかも知れませんね。まだ収束とは行かぬコロナ禍もあり、保護者の皆さんにもご不安がおありかとも思います。皆さんのお声も伺って、今この時の子どもたちにより良い環境を日々尋ねつつ、今年の園の営みを進めて参ります。ご理解・ご協力をお願い申し上げます。

 ♪あっちの家から こっちの家から、

  きみもぼくも あなたもわたしも 集まってきた

  今日もイエスさま ここにいて、みんな仲良く遊ぶ

  楽しく始まるようちえん♪(『こどもさんびか』より)

 4月の聖句、遠い山々に目を上げた詩人は、主なる神さまのもとからの確かな助けを見つけて唄います。「わたしの助け」が来る「もとから」、聖書のヘブライ語は一つで「共にいるところから」という言葉で綴られます。花々を愛で、小さな命に触れ、泥んこになって、先生たち・お友達と「共に」遊ぶ幼稚園の毎日が、一人一人の子どもたちにどれ程の力となるか、改めて励まされる思いがします。この詩はここから「わたし」を「あなた」と呼ぶ声に変わります。その声は「まどろむことも眠ることもなく」絶えず「あなたを」見守る神さまを繰り返し示し励まします。父なる神と「共にいるところから」来られた方、イエスさまのお声なのだ、と教えられました。三愛幼稚園の新しい一年、いつも共におられるイエスさまのお守りの中、元気に歩んでまいりましょう。

                       園 長  山 本 信 義

4月
三愛だより(2022年6月号)

月の聖句:  

探しなさい。そうすれば見つかる。

           マタイによる福音書 7章12節

 梅雨前にもう夏が来たと、朝から思える程のお天気がここ数日続いています。一学期も半ばを過ぎ、新入園児もすっかり慣れ、47人でも園庭狭しと、思い思い様々に遊ぶ三愛の子どもたちの姿が見られます。

 ほし組はホウセンカ、ゆり組は朝顔、今年はひつじ組もマーガレットの種を蒔きました。水遣りするそれぞれの園児の植木鉢にも芽が出て双葉が揃いました。植木鉢裏のダンゴ虫、緑の葉っぱの陰のカタツムリを見つけて集める子どもたちも。遊び砂を補充した砂場では、トンネルのお山作りに庭のお花で飾ったケーキ屋さんごっこ。保育中ひょっこり現れる園長に、遊びの手を留めて誇らしげに「見て!」と元気な声を上げてくれます。この季節毎年お決まりの光景ですが、やっとマスクを外せた子どもたちのキラキラの笑顔に、今年は特に新鮮な喜びを頂く思いです。日常の中で「探して、見つける」喜び。幼児期の子どもにとって、この上ない大切な経験なのだと思います。

 それは「愛され、受け入れられている」ことの発見へと連なるからなのでしょう。主イエスが教える「神と人とを愛する」術として「土を愛する」ことを加えて提唱した19世紀北欧由来の三愛主義が私たちの園の名の由来です。これを逆向きに読んで当園の保育の願いと受け止めています。「園(土)に愛され、人に愛され、神様に愛されていることを見つけて、愛する子に育ちますように」と。人は愛されていることを知って愛するようになると、ご自身の生涯を通して、教えて下さった方が教会の信じるイエス様という方です。

 6月は2週目に「花の日」の礼拝を守ります。アメリカの教会学校由来のこの日は本来「子どもの日」です。「小さな私たちに出来ること」とお花を届ける年長組の訪問は残念ながら今年も見送りになりそうですが、
 「この花のように、美しい心を

  神様ください 小さなわたしにも

  この花のように 人々を愛せる

   心をください 小さなわたしにも」(幼児さんびかⅡ)

こう歌われる祈りを季節のお花の中に一緒に見つけられる日となりますように。梅雨の到来と共に、蒸し暑さも強くなってくる季節ですが、良いお天気は勿論雨の日も子どもたちと一緒に、嬉しいことを見つけて喜んで過ごしたいと願います。それぞれのご家庭に祝福を祈ります。           

                       園 長  山 本 信 義

三愛だより(2022年7月号)

月の聖句:  

主に向かって、心からほめ歌いなさい。

         エフェソの信徒への手紙5章19~20節

 ♫お陽さま燦燦、眩しいな。風もそよそよ嬉しいな。サンサンサンサンSUNSUN DANCE! サンサンダンスでレッツゴー♬(ケロポンズ『行事あそび大作戦!』所収)

雹交じりのゲリラ雷雨で梅雨入りしたのに雨の日はほんの数日でもう梅雨明け宣言が出てしまいました。今年のテーマ曲そのままの日を過ごし、夏休みに突入する7月となりそうです。園庭では、9月の運動会(年長さんは先ずお楽しみ会)に向けこの曲のサンバの軽快なリズムに合わせ、三愛の子たちみんなで元気に歌って踊る計画です。でも眩しすぎる太陽には大警戒。葉っぱの茂ったマテバシイと桜の大きな木陰を十分活用し、ミストから吹く風に涼を求め、水分補給は小まめに…、熱中症への十分な配慮を欠かさぬよう、この時期の園生活を備えて行きたいと思います。

 毎年のテーマに重ねて踊るダンス曲を始め、幼稚園の毎日にはたくさんの歌があります。ご家庭でも、それぞれの子が園で覚えた歌を歌ってくれていることと思います。クラスの集まりでは、昔ながらの童謡、今風のキッズ・ソング、折々の季節を感じながら元気な声でみんなで楽しく歌います。三愛は「教会の幼稚園」ですから礼拝の時にも歌います。神様のみ名をほめ歌う神さまのお歌「さんびか」です。

♪海で泳ぐ魚たち 空で遊ぶ小鳥たち

 わたくしたちも神様に造られ育った仲間たち

 きれいな色の草や花 山や森の獣たち

 わたくしたちも神様に守られ仲よく遊びましょう♩

 年中少がこの歌を歌う今月の聖句にある「ほめ歌う」を元々の言葉で読むと「歌って唄う」と二つの別の言葉が重ねられます。集まりの歌を歌う大きな元気な声も嬉しいけれど、神さまへの讃美歌は、きれいな優しい声で歌えるといいですね。その歌声を喜ばれる造り主なる神さまの愛が、染み透るようにみんなの心に伝わっていけたら素敵なことだなあと思います。

 例年は梅雨空とにらめっこで過ごす、夏休み前の数週間。七夕、水遊び、ほし組さんはお楽しみ会、今年は夏本番の中で過ごしていきます。ご用意いただくプールセットも活用の機会が増えそうです。園長は笹竹に、空気入れ、シェード、花火!夏のみんなの遊び道具も今一度整えないと。子どもたちも先生方も体調管理に留意して、みんなで元気に、急に暑くなったこの時を過ごして行きたいと願います。それぞれのご家庭に祝福をお祈りします。

          

                       園 長  山 本 信 義

7月
11月
三愛だより(2022年夏期号)

月の聖句:  

いつもよろこんでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。

       テサロニケの信徒への手紙Ⅱ5章16~18節

 酷暑の梅雨明け宣言で迎えた7月でしたが、熱帯性低気圧に変わった台風以来、ぐずつく天気の中で夏休みとなりそうです。梅雨の戻りとは違う異例の蒸し暑さの続く不安定な日々でお休みの子たちも出てくる中、第七波の感染拡大が伝えられ、心配も多い一学期末を過ごしています。それでも、お誕生会の七夕の日には、お庭で笹飾りと一緒に各クラスの笑顔の写真が撮れました。雲間に太陽が差し出すと途端に暑くなる日には、プール遊びも存分に楽しむことが出来ました。昨晩の土砂降りもお庭の草花、グリーンカーテンのトマトとゴーヤの実りを確かめ喜ぶ子どもたちも。お天気でも酷暑で外遊びを控える日も多かった中、それぞれ工夫して遊びを見つける子どもたちの様子がありました。異常気象と呼ぶほかない天候不順なこの折も相応しい時が与えられ、三愛の子たち一人一人が育まれていることに感謝です。

 今月の聖句は信仰者家庭でよく覚えられてきたものです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」前の訳で認めた色紙が幼少時の我が家にもあったと思い出します。今は「すべてのことに」は「どんなことにも」となりました。感謝など到底出来ない苦境が現実にあることも受け止めた訳だと思います。私が仕えた最初の教会の大宮溥(ひろし)牧師夫妻には12才で病を得夭逝されたお嬢さんがおられました。恵里さんという彼女はクラスの作文集にこう書かれたそうです。「入院はいやなことでしたが、そのために多くの本が読めました。そのなかで『少女パレアナ』に一番感動しました。彼女は両親をなくして寂しい生活であったけれど、父親から教えてもらった〈喜びの遊び〉をして、宝探しをするように、生活の中から喜びを見つけてくるのです」。闘病中自らも〈喜びの遊び〉を試みられたのだそうです。ほし組で歌う「どんな時でも」の讃美歌と併せこのことを思い起こしました。どんなことにも必ずイエス様が共にいて神様の愛が注がれている恵みを見つけ確かめることが「感謝」ということです。

 学期最後のほし組の「お楽しみ会」の日も、神様が相応しい良い一日を下さいますように。Withコロナとはこういうことかと思わされる状況下、ご計画の夏のご予定もままならないかもしれませんが、一人一人の夏休みの時が豊かに祝福されますように。それぞれのところで、ともにおられるイエス様の恵みの中で、身体も心も豊かに一回り成長した子どもたちみんなと、また会えることを楽しみにしています。        

                       園 長  山 本 信 義

夏期
10月
三愛だより(2022年9月号)

月の聖句:  

あるものは百倍にもなった。

          マルコによる福音書 4章1~9節

 第7波拡大と共に始まった今年の夏休みでした。重症化率は低くも感染割合の多くを若年層が占め、ごく身近に罹患が伝えられwithコロナが完全に日常化してしまいました。加えて酷暑とゲリラ豪雨が交互の「異常で極端な」お天気。テレビは内外の政治・経済・宗教⁉のいずれも連日穏やかならぬ話題ばかり。それぞれの子が過ごした2022年の夏。「行動制限がない」と謳われても夏満喫とは言い難いご家庭もあられたことと思います。

 それでも先週は初日晴・二日目曇り・三日目雨と猫の目の空模様ながら幾分かは落ち着いた天気の中、夏季保育を行えました。「全員集合」が求められる状況にはまだ至りませんが(今年は割ったスイカを頂いた)スイカ割りに(温水シャワーの)プール遊び、元気に遊ぶ三愛の子たち一杯の賑やかな園庭が一月振りに帰ってきました。三日目、遊戯室に移動中ザーッと来た土砂降り雨もすぐ止んで、誕生会の礼拝では「お休みのお友だちもお守り下さい。みんなが集まれますように」と一緒に祈りました。週が明けて朝夕秋の気配も感じるここ数日、始業日は元気な笑顔のみんなで迎えたいと心から願います。

 今月の聖句はイエス様が語り弟子たちに説かれた譬え話の結びです。これを歌った子ども讃美歌があります。

「麦のたね まきます パラッ パラッ パラッ♬、

  一粒こぼれた道の上  見つけて鳥が食べました

2…二粒こぼれた石の地に 灼けつく熱で枯れました

3…三粒こぼれた薮の中  茨に負けて伸びません」

 幼い頃見た紙芝居「たね君の冒険」を思い出します。落ちた地で次々と大変な試練に襲われるたね君。でも…

「麦のたね まきます パラッ パラッ パラッ♬ 

良い地に育って 百ばいの立派な麦になりました」

 イエスさまの語られたこの譬えで、わたしたちは蒔かれる種ではなく、種が蒔かれる土地なのです。神様はそれぞれの子に相応しく沢山の実をいつか必ず結ぶ種を蒔いておられます。神様は農夫として蒔いて放ったらかしにはされません。蒔かれた地が良い地となるよう耕して種を育てるお方です。そんな神さまの豊かな働きに用いていただくこと、教会の三愛幼稚園の保育の願いです。

 二学期が始まると運動会がもうすぐです。三年目の園庭開催も、感染対策には気を緩めることなく、みんなの力がこの時に相応しく伸びやかに発揮される機会となりますように。祝福がありますように。

          

                       園 長  山 本 信 義

9月
三愛だより(2022年10月号)

月の聖句:  

その人は豊かに実を結ぶ。

           ヨハネによる福音書15章17節

 昨金曜の秋分の日、運動会を行うことが出来ました。近づく台風もギリギリ逸れ、奇跡的な予定通りの開催です。曇間に一時陽も差す空の下、三愛の子たち皆、神様が各々に下さった「ちから」を存分に発揮できました。コロナで3年目になる園庭での運動会、家庭の方々にも様々にご協力をいただきました。今年も人数制限で塀越しでの応援された方々には心苦しいことですが、ご理解賜り感謝です。コンパクトながら、笑顔いっぱいで和やかで楽しい時を持てました。なお当日まで再三のメールでお煩わせしたことお許し下さい。前日午前保育中に見通しを伝えようと少々先走ってしまいました。予報アプリ等の身近で便利なツールが出来ても過信は禁物、見通しある計画が必要と反省です。来週はみんな楽しみのお芋ほりです。変わりやすい秋の空でも守られて、秋の実りを袋一杯に持って帰れると良いですね。

そんな十月の聖句も、秋の実りにご自分を譬えられたイエス様のお言葉です。「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」と愛する弟子たちに「私につながっていなさい」と教えて「その人は豊かに実を結ぶ」と励まされます。このヨハネ福音書15章の御言葉を身近に味わう経験を持ちました。今の住まいの脇に前の持ち主が植えた一本のぶどうの木があるのです。娘が生まれ引越した昨冬は裸ん坊でグネグネの蛇の様。枯れ木かなと思っていましたが、5月になると芽吹き、梅雨に緑の葉が揃った頃、幾つも房の形で小さな(花びらなしの)花が咲きました。そして暑い夏。花無しで実らない枝が次々と弦になって出てきました。すごい勢いで伸びる弦は気付くと窓にもお隣にも絡みそう(園庭のキウイと一緒ですね)。イエス様は、農夫の神様は実を結ばない枝を取り除くとも語られます。今まで「切り捨てなんて可哀想」と思っていましたが勘違いでした。枝を払って房を風通し良くするのは愛を込めた大切な手入れです。小さな実に栄養が届き、途中で腐らない様にと、そうして初めて「豊かに実を結ぶ」のです。先日教会の子たちとささやかなブドウ狩りをしました。不揃いで種ありですがデラウェアをいただきました。(園では来月キウイ狩りしましょうね。)「わたしの愛に留まりなさい」原文では「つながっている」と同じ言葉でイエス様はさらに語られます。三愛の子どもたち一人一人が愛されて豊かに実を結ぶ秋となりますように。 

                       園 長  山 本 信 義

6月
三愛だより(2022年12月号)

月の聖句:  

   さあ、ベツレヘムへ行こう

             ルカによる福音書2章8~20節

 いよいよクリスマス。今年は節電で少々淋しい街のイルミネーションにも心踊る季節です。教会ではクリスマスまでの一月間をアドベント(待降節)と呼んで準備を始めます。「アドベント」はadvenire(到来する)というラテン語に由来します。「目指してad身を傾けるvenire」。「アドベンチャー・冒険」も同じ語源です。ベツレヘムの粗末な馬小屋の飼い葉桶にお生まれになったイエス様。私たちに救い主をそんな風に贈り届けられるとは、確かに神さまの大変な冒険だったに違いありません。

園でも、週ごとにクランツに一つずつ灯を点して

 「一本目のローソク、やさしい心をもてるように

  二本目のローソク、丈夫な心をもてるように

  三本目のローソク、我慢する心をもてるように

  四本目のローソク、お祈りする心をもてるように」

と数えてこの時を過ごします。小さな灯の様な幼子イエス様を私たちに下さった神さまの心に寄り添われ、それぞれの子の心が備えられ、育まれて行きますように。

最初のクリスマスの光は、ベツレヘム近くの夜空に輝きました。荒野で、野宿しながら夜通し羊の群れの番をしていた貧しい小さな羊飼いを照らした神の栄光です。光の中から天使は告げました。「世界中のみんなのための嬉しい知らせを、あなた達に伝えます」。続けて大勢の天使達が歌う讃美の歌が響きました。

 「いと高き所には栄光、神にあれ。

  地には平和、御心にかなう人にあれ。」

天使の知らせに羊飼いたちは声を上げて応えます。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」。そして、お言葉通りにお生まれの赤ちゃんイエス様と会い、喜びました。

 さあ、ベツレヘムへ!園の子どもたちのクリスマスの準備も始まりました。ほし組のみんなは役も決まってページェントの練習に打ち込んでいます。ゆり組・ひつじ組でも嬉しいクリスマスの歌の合奏・ダンスに取り組み始めました。きっとご家庭でも頑張って練習しておられることと思います。「上手に出来るかな」って、心配で緊張している子もいるかもしれませんね。でも、お家の方も先生たちも、それぞれに取り組む姿をこそ、嬉しく楽しみにしています。何よりも神さまが楽しみにしておられます。天使の讃美の「御心に適う」とは「神さまが喜んでおられる」という意味なのです。みんなで嬉しいクリスマスを、お生まれのイエス様を、喜んで和やかにお迎えいたしましょう。   

                       園 長  山 本 信 義

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