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夏期
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2月
三愛だより(2024年9月号)

月の聖句:

     人にしてもらいたいと思うことは何でも、
        あなたがたも人にしなさい。

             マタイによる福音書7章12節

 熱中症アラートが町内放送でも朝から伝えられ、日替わりでいずれかの町に気温40℃到達が報じられる苛烈な酷暑。加えてお盆は(千葉はかすめて行きましたが)直撃の台風に、開けてはゲリラ豪雨。数年前「日本の気候は変わった」と盛んに言われた極端な気候も日常になってしまった感のある今年の夏でした。夏休みのご予定にも悩まされたのではとも思いますが、各ご家庭で様々に工夫されたことでしょう。夏休み最初の教会の夕涼み会①(②は列島縦断のこの台風で残念ながら中止でしたが)、「遊びに来ませんか」コンサートで会えた子たちからも、何より8月最後の夏期保育のプール遊び・ゲーム・お誕生会に、揃った元気な顔にそれぞれの子が「この夏ならではの体験」をし、喜んだことだろうと実感しました。

 2学期最初の聖句は「主において常に喜びなさい」。「喜べることばかりではないよ」って正直な思いですが、記したパウロという人もこの時とても喜べない状況にいました。これは理由なく捕われた獄中で書いた手紙の中の一節なのです。それでも喜べる秘訣は「主において」です。悲しい時・つらい時・嫌なことがある時。喜べない思いに患うのは子どもだけではありません。そんな時、傍に来て「喜びなさい」と励まして喜びを下さるのがイエス様という方です。このイエス様の愛の中で常にいることを知り、喜びを子どもたちにも届けたい。キリスト教の幼稚園のある理由はこれに尽きます。暫く暑さが続きそうな9月も、それぞれの子みんなが喜べる三愛幼稚園の毎日を届けたいと願うものです。

 夏休み中、ちいろば隣のトイレのリニューアルをしました。薄暗かったトイレも廊下から明るくなりました。キウイのおうちも手作りで修繕しました。ささやかな工事で築60年の園舎を見違えるほど変えるのは難しいものですが「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」。子どもたちが喜んで使える様にと教会の方々が思いを寄せられました。

「今日もイエス様ここにいてみんな仲良く遊ぶ。楽しく始まる幼稚園」の2学期は運動会に始まって沢山の行事が目白押しです。みんなで喜びを見つけて楽しく過ごしていきたいと思います。「常に喜びなさい」このイエス様のお声が聞こえてくる保育を一緒に作っていくことができますようにと祈るものです。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2024年夏期号)

月の聖句:

     人にしてもらいたいと思うことは何でも、
        あなたがたも人にしなさい。

             マタイによる福音書7章12節

 例年よりずっと遅く、強風とゲリラ豪雨の中で出された梅雨入り宣言。でも雨雲は千葉にも猛烈な蒸し暑さを運んでくるばかり。連日35℃越え、朝からの熱中症警戒アラートに園庭に出ることもままならない7月前半でした。「暑すぎてプールに入れない」なんてことになるとは(暑さを見定めそれでも何度か楽しみました!)気候がすっかり変わってしまったと改めて思わされます。梅雨の戻りになりそうな海の日連休のぐずつくお天気にも一寸ほっとする思いです。体調を崩しお休みの子どもたちも終業日には回復して、夏休みを迎えることができますように。そしてほし組はみんな揃って、お泊り保育をすることができますように。

 そんな各クラスお部屋で過ごさざるを得ない7月の日々。冷房の効いた部屋で、各クラスそれぞれ工夫をして子どもたちは七夕をはじめ、様々な活動を楽しみました。ほし組にはいただいてきたカブトムシ十匹が幼虫から立派に羽化しました。最初はおっかなびっくり背中に指で触れてみる子たちも、枝に載せたり、体操服に上らせたり、掌に載せる子も! 好きな子たちは毎日楽しみながら観察しました。少人数でも窮屈感は否めず、時に衝突になることもありますが、お友達を思う遣る心の育みの機会となってくれていたならと願うものです。

 「自分がされて嫌なことは、お友達にもしてはダメ」幼い子でも一緒に過ごす場を通して必ず身に着けていきたいルールです。でも「隣人を自分自身の様に愛しなさい」と教えたイエス様がもう一歩ふみこんで教えられた今月の聖句は「黄金律」とも呼ばれます。「人にしてほしいことは何でも、あなたがたも人にしなさい」。「してはダメ」から「してあげよう」への積極的な一歩があるからです。自分が望むことを他の人も望んでいるとは限りません。お節介の押し付け、有難迷惑にもなりかねないと大人でも躊躇してしまうことです。「求めなさい。そうすれば与えられる」。この聖句はこの教えから始まります。自分の求める望みを誰かが適えてくれた喜び程に大きな力はないことでしょう。「お友達もして欲しいこと」を想う想像力・共感力がその力の源です。お友達と過ごす園生活で、押し出されて三愛の子それぞれがこの力こそ培ってほしいと願うものです。

 これから始まる夏休み。暑さは心配ですがご家庭で「この夏は」とご計画を立てておられることと思います。子供たち一人一人がこの夏ならではの大切な経験をすることができますように。身体も心も豊かに一回り成長した子どもたちみんなと、夏季保育でまた会えることを楽しみにしています。

                         園長 山本 信義

7月
三愛だより(2024年7月号)

月の聖句:

     隣人を自分のように愛しなさい。

             マルコによる福音書12章31節​

 心・精神・思い・力、全てを尽くして「あなたの神である主を愛しなさい」。ユダヤの人なら当然の第一の掟に続いて大切だとイエス様が示されたのが、今月の聖句「隣人を自分のように愛しなさい」です。日本でも沢山のキリスト教学校でスクールモットーと掲げられていますし、キリスト教の精神は「隣人愛」と言えるほどのものです。でもこの愛すべき「隣人」って誰でしょう?

 神と隣人への二つの愛の掟はどの福音書にもありますが、その一つでイエス様はこんな譬えを話されます。「ある人がエルサレムから帰る道で、強盗に襲われ、着物を奪われ傷だらけで倒れてしまいました。そこに神殿に仕える祭司が通りかかりましたが、この人を見ても向こう側を通って行きました。その後来た祭司の下仕えのレビ人も見て見ぬふりで通り過ぎて行きました。次に通りかかったのは旅の途中のサマリア人です。このサマリア人は倒れた人を見て深く憐れみ、近寄って傷を手当てし、自分のロバに乗せて連れて行った宿屋で看病しました。翌朝、出かける時には主人にお金を渡し『この人のお世話をして下さい。お金が足りなかったら、帰りがけに私が払います』とお願いしました。強盗に襲われた人の隣人になったのは誰ですか?行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ福音書十章二五節以下より)。

 サマリア人はユダヤのお隣で同じ神さまを信じていましたが、お互いを嫌っていました。神殿も別に設けて普段口もきかない位でした。でもこのサマリア人の行いこそを「隣人愛」とイエス様は教えられました。隣人は初めから心知れた仲間ではありません。仲間のよしみで愛するのでは決してないのです。これはとても難しいことです。この譬えの急所は「深く憐れんで」だと思います。自分の事のように心を大きく動かされ、愛の業へと押し出された。そこで愛すべき隣人を見つけたのです。

 私たちの幼稚園は神と隣人の二つの愛にもう一つ加えて「三愛」と言います。三つ目の愛は元々「土」とあったものを「園」と受け止めています。自分が愛されていることを知り愛する仲間を見つける場が幼稚園と考えるからです。入園・進級から3か月、子どもたちは「自分の居場所」と、思う存分園を楽しんでいる様子です。小さなトラブルも起こりますが、それもまたお友達を見つけお互いを思う経験となっていることと思います。残りわずかの一学期、一人一人の子どもたちの育ちの中に、注がれる神さまの愛を見つけて、一緒に喜ぶ日々となりますように。祝福を祈ります。 

                         園長 山本 信義

4月
6月
三愛だより(2024年6月号)

月の聖句:

     見よ、それは極めて良かった。

                創世記1章31節 

 聖書のはじめ創世記の天地創造の物語です。混沌の闇に「光あれ」とお命じになって、神様は昼と夜を造り、一日を造られました。二日目に天、三日目に地と海と生い茂る植物、四日目に昼を照らす太陽と夜に輝く星々、五日目には空を飛ぶ鳥と海に泳ぐ魚たちを造られた神様は、一つ一つを「見て、良しとされ」祝福されました。そして六日目です。地に生きる動物たちを造った神様は、ご自分にかたどり人間も造り全てを委ねられました。そこで記されるのが今月の聖句「見よ、きわめて良かった」です。「良い」とは「美しい・納得した」という意味です。造られたご自分の作品すべてを手ずから愛でてご覧になり「きわめて良い」と、改めて神様は言われるのです。ところで、地の動物たちは家畜・獣に加えて「地を這うもの」とも書かれます。エデンの園でアダムとイブを唆すことになるあの蛇も、神様は「良かった」と言っておられるのだなあと気づきました。

 私事で恐縮ですが、私の2歳半の娘に、昨年の夏に難聴が見つかりました。検査を重ねる中で、補聴器では十分な聴力が得られない聴覚障がいと判り、聴こえを得るための人口内耳埋め込みの手術を受けたところです。難聴とは寝耳に水で、「ちょっと言葉が出るのが遅いな」位に思っていた私は動揺しました。彼女が生まれて一年半を振り返り、何か聴こえを失う失敗を親の私がしてしまったかと、くよくよ考えました。原因は遺伝によるものと判りました。私と妻のそれぞれが難聴の遺伝子を持っていてそれを娘が受け継いだということ。一〇〇〇人に一人位の割合で生まれてくるのだそうです。原因が判り不思議と心が晴れ、娘の育ちに向き合っていく気持ちが湧いて来たように思います。大変だけどこれも「良い」と神様が彼女に下さった個性だ。人一倍表現豊かに良く動き人懐っこく良く笑う娘を見て今受け止めています。

 「やさしい目が きよらかな目が

  きょうも わたしを 見ていてくださる。

  まっすぐに歩きなさいと 見ていて下さる。」

 このこどもさんびかは、子どもも大人も皆を見て「きわめて良かった」と喜ぶ神様の目を受け止めて歌われます。本当に個性豊かな子どもたちが集った三愛幼稚園。神様が注がれる眼差しの下、一人一人を見つめる保育をなして行きたいと願います。「良かった」と言われるお声に励まされて、三愛の子それぞれのその子に相応しい育ちを見て、一緒に喜ぶ毎日となりますように。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2024年4月号)

月の聖句:

     新しい歌を主に向かって歌え。

                詩篇96編1節

 春の4月を迎えてちょうど満開の桜の足元、花壇のチューリップやたくさんのお花も咲きそろいました。三愛の新しい一年が始まります。球根を植えた卒業生を送りだした幼稚園に、可愛いひつじ組さん・ゆり組にも新しいお友だちが加わります。今年は29人で始まる三愛幼稚園をみんなでいっしょに楽しく一年過ごしてまいりましょう。先生たちにも新しく先生が加わりました。サヨナラをした有可先生と同じ、お嬢さんを保護者として三愛に送られた片寄綾乃先生です。それぞれのご家庭が送り出してくださる子どもたちこそが主役の三愛らしい幼稚園をこの年も紡いでいきたいと、保育者皆で思いを新たにしています。

   「つくしのように、すくすくと

       主イエスの子どもよ、伸びて行け」

 3月に寒さが戻り、少し遅くやってきた今年の春、毎年、園の裏に顔を出すツクシもゆっくりでしたが、シッカリと背を伸ばしました。ゆり組で3月歌った歌をほし組になった子どもたちは新しい気持ちをもって歌います。三愛幼稚園ではクラスで毎月「新しい歌」をおぼえます。元気に歌って一緒に守る礼拝で進級式・入園式を行います。テレビでは聞くことがない歌は神さまに歌うさんびかです。その歌声を聞いて喜んでくださる神さまの愛をいっぱいに受けて子どもたち一人一人が健やかに育まれる毎日となりますように愛されているから人は愛することが出来るのですね。

 ご家庭でご家族の愛をいっぱいに受け日々育つお子さんたち、園の私たちもその心で毎朝お迎えします。神さまが愛して下さっている愛を、子どもたちと寄り添う日々の保育で覚えていく。教会の三愛幼稚園の願いです。この愛の中を新しい思いで新年度を始めましょう。

                         園長 山本 信義

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