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三愛だより(2023年7月号)

月の聖句:

     主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。

               詩編5篇4節

 早くからの蒸し暑さが連日続く今年の梅雨です。親戚から沢山のカブトムシを分けて貰いました。聞くところ一つがいの産んだ卵が見事に孵化し五十匹に!甥達の「逃がしたら天敵に襲われるから」の声に、叔父の私の園にやって来たわけです。2年ぶりの飼育ケースを整え朝の遊びの園庭でお披露目すると虫好きの子たちが大集合。最初はおっかなびっくり背中に指で触れてみる子たちも、枝に載せたり、体操服に上らせたり、掌に載せる子も!「ちょっと怖くても乱暴はダメ。生きてるからね」一緒に観ている子たちからの声も聞こえます。

 同じ日にやって来たつがいのノコギリクワガタ、ゆり組にお目見えのカメさん。5匹のウサギも元気に葉っぱを食べて小さな動物園みたい。時々連れて行くわが娘もそうですが、自分より小さい命を迎えるさんあいの子どもたちの優しい心が育まれていると嬉しく思いました。どれもみんな神様がお造りになった命です。

神さまが全てを造られた天地創造の最初、真っ暗闇の中「光あれ」と神さまが言うと、お陽様の上る朝が出来ました。それを見て神さまは「これは良い」と言われました。今月の聖句で覚える朝の始まりです。

 こんな言葉を思い起こしました。

 「太陽が毎朝東の空から昇るのは、昇るのに飽きることを知らぬからだ。毎日同じことを繰り返すのは、生命が無いからではなく、生命に溢れているからなのだ。…面白い遊びや冗談が見つかった時、子供はどうするか。同じことを飽くこともなく繰り返しているはずだ。子供がリズムに合わせて足で地面を蹴り続けるのは、活力が足りないからではなく、あり余っているからだ。子供は活力に溢れていて、力強く自由な精神に恵まれているからこそ、同じことを何度でも繰り返し続けて飽きることを知らぬのだ。子供はいつでも『もう一度やろう』と言う。大人がそれに付き合っていたら息も絶え絶えになってしまう。大人には歓喜して繰り返すほどの力がないからである。しかし神はおそらく、どこまでも歓喜して繰り返す力を持っている。きっと神様は太陽に向かって言っておられるに違いない―『もう一度やろう!』と」  (チェスタトン『正統とは何か』「おとぎ話の倫理学」より)。

 気が付けば一学期もあと数週間。雲間から夏の太陽が顔を覗かす日には水遊び・泥あそび。七夕の日はお誕生会お庭にプールも出せるかな?。ほし組さんは(園では4年ぶりの)お泊り保育ががもうすぐですね。三愛の子どもたち一人一人、どんな成長を見せてくれるでしょう?神さまの励まされる声を聴きつつ、みんなで一緒に元気に過ごして行きましょう。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年夏期号)

月の聖句:

     わたしは雲の中にわたしの虹を置く。

               創世記9章13節

 No rain, No rainbow (雨が降らなきゃ虹は出ない)。ハワイの諺です。虹は雨上がりの空にかかる七色の「橋」とイメージしますが、英語では「雨の弓」と綴るのですね。今月の聖句、ノアの箱舟物語の結びの神様の約束の「虹」もヘブライ語は「弓」と綴ります。全世界を覆い全てを滅ぼした洪水は、混沌の水を分け造られた天の大いなる深淵を射る神様の怒りの矢によって起こされた大雨によるのです。しかし引いた弓を今や置く。虹はまさに永遠の平和のしるしです。そして神様の虹が置かれるのは天の神様が居ます大きな厚い雲の中になのです。

 先日、キリスト教保育連盟のズーム会議に参加しました。同じ志で保育を営む代表者の会議です。意見交換の折、気になる子どもたちが増えていると、多くの先生方が語られました。より良い保育を目指す会話の中ですが自ずと「発達障がい」「グレー」といった単語が出てきます。ある先生から「キリスト教保育をなす私たちがそういう言葉を当たり前に口にするのはどうか」と注意喚起がありました。気づかされたその場で「虹色な子どもたち」という提案を教えていただきました。(明星大学教授・音楽療法士の星山麻木先生のご提言です。)

 虹色は何色?赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色と私たちは数えますが、巷で目にするようになったレインボーフラッグは六色。欧米人はそう数えるそうで、色分け好きな日本人らしさかなもと思います。ちょっと調べてみたところ2色から8色まで数え方は国により様々です。それもその筈、本当の虹は細かい水粒が生む光のプリズムのグラデーションで色の拡がりは無限大。本当にいろんな色を集めて、神様は初めの光をお造りになり、それを「良し」とされたのだ、と思います。

 今年は早くからの暑さに遅ればせながら付けた園庭のミスト。水遊びのシャワーに「虹が見えたよ」と子どもたちの元気な声が挙がります。三愛の子どもたちも本当に色とりどり。ともすると色分けしたり、教師の良しとする色に染めたいと願う誘惑に抗って、一人一人の個性を受け止め伸ばす保育を為していきたいと願います。

 夏休みが始まります。園庭からの元気な声がしばらく聞こえないのかと思うと、少し寂しい気にもなりますが、夏休みにその子らしく一回り大きく成長した子どもたちみんなと、夏期保育で会えることを楽しみにしています。ご計画されている夏のご予定、家族で過ごされる日々が、神さまのお守りの中で、豊かに祝福されますようにお祈りいたします。 

                         園長 山本 信義

6月
4月
三愛だより(2023年4月号)

月の聖句:

  子供たちをわたしのところに来させなさい。

マルコによる福音書 10章14節 

 春休みに満開だった桜、「おうち」のキウイの枝は柔らかな葉を伸ばし、卒業生が植えたチューリップを始め色とりどりの花々が先揃い。すっかり春の陽の光の下、5匹のウサギも元気一杯で幼稚園(子どもたちの庭)の園庭はみんなを迎える準備万端です。三愛の子どもたち今年は36人でスタートします。 

 お家を離れて子どもの時間を始める新入園生は勿論のこと、進級する在園生もきっとドキドキしているこの春とも思います。沢山の制限ある日常が普通になってしまったこの3年。「怖いコロナはもうおしまい、マスクも要りません」と言われても正直まだ様子見のことも多い中、迎えた新年度です。園にお送り下さる子どもたち皆に良いことを第一に、ご家庭の皆さんのお声もよく伺い安心安全を見極めて、コロナ後の三愛らしい触れ合いに満ちた園の営みを一つ一つと取り戻して行きたいと切に願います。

 4月の聖句は、ご自分の下に子連れで来た親を咎める弟子たちをこそ強く諫めたイエス様のお言葉です。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」。そう言い一人一人の子を抱き上げ祝福された方がイエス様です。このお姿の映し出される保育を教職員一同共に紡いで行きたいと願います。妨げを一つ一つ解いて触れ合いを大切に、イエス様の愛の中、先生・お友だちが大好きになって、笑顔いっぱい思い切り遊ぶ中で育まれる三愛の毎日をもっと!

  ♬あっちの家からこっちの家から、

  きみもぼくもあなたもわたしも集まってきた。

  今日もイエスさま ここにいて、みんな仲良く遊ぶ。

  楽しく始まるようちえん♫(『こどもさんびか』より)

 子どもを招くイエスさまの三愛幼稚園の新しい一年、みんなで一緒に元気に過ごして参りましょう。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年6月号)

月の聖句:

        主はわたしたちを造られた。

                          詩編100篇3節 

 幼い子には少し難しい当園名「さんあい」。多くのキリスト教主義学校が掲げる聖書の教え「神を愛し、隣人を愛する」にもう一つ「土を愛する」を加えたものです。酪農国デンマークから日本の農学校に伝えられた運動のモットーだそうです。でも(小さなプランターはありますが)畑なんて無い幼稚園が何故「三愛」なのでしょう?

 三愛幼稚園では日々の保育で子供たちが思い思いに遊ぶ自由な時を大切にしています。砂場遊びは人気の一つ。大きな山を築く時、お友達と協力する喜びも覚えます。水で練って泥団子を作る仕方を相談したり、お道具を譲り合うやさしい心を育みます。園庭では草花の陰に小さな虫を見つけ、木の実や葉っぱを集めます。五匹のうさぎも大人気。お庭の葉っぱ・お家から持ってきた人参やキャベツをあげて小さな命と触れあいます。

 どの園にもある日常かもしれませんが三愛ならではの「土を愛する」営みだと思います。先生たち・お友達と一緒の「土を愛する」目に見える体験から目には見えない「人を愛する」優しい心「神さまを愛する」尊い心が一人一人の子の内に育まれると考えているからです。それを心静かに礼拝の時に確かめます。「三愛」って、やっぱり私たちの園にぴったりの名前だなぁと思います。

 「主はわたしたちを造られた」。今月の聖句も三つめの「土を愛する」と関わっています。聖書の最初には人が造られた次第がこう記されるからです。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」(創世記2章7節)。天地創造で造られた世界の全てを「これは良い」と喜ばれた神様は、そこに生きる「人」を造るのに「土」を用い、ご自身の愛を注ぐ「良い器」とされました。泥で造った土の人には神さまがフーッと息を吹き入れました。すると人は「生きる者」になりました。神さまの息が命そのものなのです。人はただ生きるのではなく、神さまに息吹き込まれて活き活きと生きるのです。それで、聖書の元々の言葉では、息・風と、いのちそのものである魂・霊は同じ言葉であらわされます。

 教会ではペンテコステ(聖霊降臨日)という日を覚えて今月を迎えました。神さまの息である聖霊が注がれて、イエス様の弟子たちが新しく生き始めたことを記念する日です。これからやって来る梅雨の合間に吹く爽やかな風にいのちの息を感じて、三愛の子どもたち一人一人が、活き活きと育まれていかれますように。夫々のご家庭に、神様の祝福を祈ります。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年9月号)

月の聖句:

     人はパンだけで生きるものではない。

            ルカによる福音書 4章4節

 日本列島のどこでも、酷暑に突然の土砂降りと厳しい今年の夏でしたが、各ご家庭で、子どもたちは色んな経験が出来た夏休みだったと思います。帰省でお爺ちゃんお婆ちゃんと久しぶりに会えた子・家族で旅行に出かけた子がいることでしょう。中でも楽しい思い出は食事の場だったのではないでしょうか。(園では注意しつつもなるだけ抗いましたが)アクリル板や「個食・黙食」が子供たちの日々のお昼に強いられたこの数年を思う時、「人はパンだけで生きるのではない」。イエス様のお言葉を実感します。ただ食べるだけでなく、皆で囲む食卓での笑顔の語らいが私たちを活き活きと生かすのですね。

 イエス様は神様の福音を伝えるに先立って、四十日間荒野で、悪魔から誘惑を受けられました。お腹が空いたイエス様に「神の子ならこの石に命じてパンにしてみせろ」と悪魔は誘惑します。この試みを退けて言われたのが今月の聖句です。イエス様は(旧約)聖書の一節を引いて言われました。四〇年間荒野を旅した神さまの民に向けての言葉です。この聖句には続きがあります。「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを知らせるためだった」と続くのです。エジプトを脱出しての荒野の旅で、人々はマナという食べ物を食べました。天から毎日降った不思議なパンです。神様は一人一人を養って四〇年もの長い旅を導かれた。それを決して忘れないで。イエス様がこの聖句に聞かれたことです。

 「三愛」の一つめの「神さまの愛」に込められた意味を、前々園長は「お祈りを知って」と言い表されました。一学期にほし組さんが覚えた主の祈りの中に「我らの日用の糧を今日も与え給え」とあります。聖書の元々の言葉では「必要なパンを」とあるところを(子どもじゃなくても難しい)「日用の糧を」としています。イエス様は、毎日いただく食べ物を通して、ただ空腹だけでなく、私たちを本当に満たして養う「糧」を下さいと、神さまに祈ることを教えられたのだなあと受け止めます。

二学期が始まります、まだ残暑がしばらく続きそうですし、コロナへの警戒も完全には緩められない中ですが、実りの秋を過ごして行きます。運動会に始まる多くの行事を工夫しながら計画しています。子どもたちのからだだけではなく、心を養う神さまからの豊かな実りをいただいて、みんなで喜ぶ経験を分かち合っていきたいと願います。祝福をお祈りいたします。

                         園長 山本 信義

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