学校法人 八千代台教会学園
三愛幼稚園
三愛だより(2025年4月号)
月の聖句:
あなたがたは神に愛されている子供です。
エフェソの信徒への手紙5章1節
暖かさに少し早く蕾を綻ばせた園庭の桜は春休み中の冷たい雨の中、ゆっくりと花開かせ丁度満開になりました。一つずつ大きくなったゆり・ほし組さんに16人のひつじ組のお友だちを迎え34人で三愛幼稚園の一年を始めます。とても楽しみです。
園にも新しい先生も迎えました。副園長を設け村上義治先生が就かれます。園長の私は、難聴の娘(3歳)の療育に時間を割く家庭事情をお許しいただき、その助け手としてです。51年の牧師の働きの大半で園長をされ、この春迄盛岡で教会の二つのこども園と付帯施設の責任、包括する学園の理事長を担われた頼もしい先生です。補助などおこがましく豊かな知見でより良い園となる様お働き下さいます。(お孫さん曰く)「可愛い」笑顔の子どもの大好きな先生です。園の子どもたちには礼拝で、三愛だよりで神様のお話を担当します。(私も出来るだけ園に出て、時にはお話もしますからその時はどうぞ宜しくお願いします。)
4月の聖句「あなたたちは神に愛されている子どもです」。原文はただ「愛された子どもとして」と綴られます。ご家庭でご両親の愛を一杯に受け育まれた大切なお子さんたち。お友だち同士がともに過ごす幼稚園の生活で、それぞれの愛を支える大きな愛を知ることが出来ますように。どんな時も一人一人を確かに愛しておられる神様の愛を。この愛を知り育つ子は、豊かに愛する人を子になるでしょう。「神と人と土(園)に愛され愛する」私たちの園名に込められた祈りです。先ずは、土いっぱいの園庭で思い切り遊ぶ幼稚園の毎日が大好きになれますように!祝福を祈ります。
園長 山本 信義
三愛だより(2025年6月号)
月の聖句:
求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば見つかる。
マタイによる福音書7章7節
「我が子は、可能性への挑戦者」
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」 マタイによる福音書7章7節
新年度も瞬く間に2か月が過ぎようとしています。お子様は新しいクラスで友達の輪を広げながら過ごしています。ただ親としてはいつも気がかりなことばかりが目につきやすくなる時期だと推察しています。もう少し、我が子の可能性を信じ、長い目で見てあげたら親子共々余裕をもってすごせるのではと拝察しています。
さて、6月の聖句は、マタイによる福音書7章7節です。聖書の中で最も有名な言葉の一つです。個人的には、60年以上前の高校の倫理の教科書で目にしたような記憶があります。聖書の言葉とは知らなくても一般的に「求めよ さらば与えられん。」と語られています。
盛岡の大学で非常勤講師をしていた時、学生にこの言葉を覚えてもらうとき「ダブルラッキーセブン」と教えました。それほど素晴らしい言葉だということです。ちなみに子供に「先生いま何才?」と聞かれると「うん、ダブルラッキーセブンだよ」と答えています。
この言葉は、「求める、探す、たたく」という言葉で始まることから、自分の人生の可能性を信じてポジティブ(積極的)にチャレンジ(挑戦)していく姿勢が見られます。もともとの言葉では、「もし、求めるなら・・・」ですので、選択的で意志的行為です。たまたまのことでなく、発展的な生き方です。しかも「求めつづけるなら」とも言われ、継続的であきらめを受け入れない強さを表しています。
そして、それを可能(与えられる。見つかる。開かれる。)にしてくださる方(祈りを聞かれる神)がおられるという信頼が前提となっています。
我が子にどんな人生を送ってもらいたいか。この言葉のように自分の未来に期待し向上心を持って挑戦する姿を思い描きたいものです。親は大切な我が子の可能性を信じる最大の応援者であり、教師はその支援者でなければと心しています。
最後になりましたが、あなたのお子様の確かな育ちとご家庭の祝福を心よりお祈りしています。
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年7月号)
月の聖句:
求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば見つかる。
マタイによる福音書7章7節
「喜び 祈り 感謝」
「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節
暑い日々が続いています。皆様にはお変わりないでしょうか。このところ気候変動の大きさに驚かされることが多く、「以前は・・・。」という経験が通じなくなってしまいました。現に子供たちであれば、以前は夏の日差しのもと元気に外で遊んでいて当然でしたが、今はエアコンの効いた部屋で遊ばざるを得なくなっています。
立派な庭があり、木陰もある当園ですが、そうならざるを得ない夏の日々を送ることになりそうです。育ち盛りの子供たちに思いきり園庭で遊ばせてあげたいと思いますが、現実はできず残念な思いを昔を知るものとしては感じているところです。そんな中、先生方はその分、室内遊びの充実に心を配っておられ感謝しています。
さて、今月の聖句は、「喜び・祈り・感謝」をテーマとしています。今回この聖句に触れられ、キリスト教の信者でなくても納得しわかると同意していただけたのではないでしょうか。人として生きるにおいて常識的で目標だからです。
ある時、教会に通うようになられた年配者が、洗礼を受けてクリスチャンになりたいと思うより、牧師先生に「どういう風に生きたらいいでしょうか。」と尋ねられたそうです。先生は、上記の言葉を示してこの通りに生きればいいと言われました。その言葉を見て、「あゝ、これだったら」と答えて洗礼を受けられました。
しかし、実際の生活では常識的・基本的なこのことが一番難しいと気づかれたそうです。そこで、この言葉に心がけて立ち返っての生活をしていますとのことでした。
そこで、示されますことは、我が家の家庭形成・子育て環境として「喜び」の雰囲気を出しているのか。家にいて楽しい、ここが自分の居場所だと思えたら最高ですね。
次に「祈り心」です。いつも一緒にいるわけではありません。しかし、親子は寄り添いという見えない糸(祈り心)でつながっています。どこにいても帰る基地があるという安心と信頼は生き抜くための大きな財産です。
さらに、「感謝」は潤滑油です。家庭内で行われることは、決して当たり前でなく一つひとつが、相手を思いやった愛の心尽くしです。それに対しやり過ごさない心遣いの「ありがとう」は、潤いをもたらします。
以上のことは、分かっているがなかなかできないという現実があります。できないことの要求ではなく、このことを望んでおられる方・神への信頼を寄せて行く時、可能として下さる。これが約束です。
May God Bless You & Your Family!
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年夏期号)
月の聖句:
二人または三人がわたしの名によって集まる
ところには、わたしもその中にいるのである。
マタイによる福音書18章20節
わが家は「小さな教会」
「二人または三人がわたし(イエス・キリスト)の名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 マタイによる福音書18章20節
本年度の歩みも間もなく1学期を終えることになります。六月の半ばからすでに暑さも本格的になり、夏の暑さの期間も例年より一月長くなりました。茹だるような日々に大人は音を上げそうになりますが、こどもたちは額にいっぱいの汗をかきながらも、もっと体を動かして遊びたいとの思いを発信しています。その姿に育つ子供のうちにあるエネルギーに触発され、暑さに負けないで過ごさなくてはと教えられています。間もなく夏休みに入ります。思い出深い日々になりますよう願っています。
さて、掲げてあります聖句は、イエス様が弟子たちを前にしてお話をされた時の一節です。この箇所の解釈はいくつか考えられますが、ある解釈は下記のようになっています。「二人」というのは、家族の最小単位である夫婦。そしてそこに、「三人」というのは子供が産まれ家族がふえていく様子です。どんな家族形成が求められているのか考えてみたいと思います。
1️⃣ 「二人」:結婚による一致と協力
夫婦関係は単なる契約ではなく、「何を中心」とし「何を目指している」か明確であることが大切です。
心がけとして互いに尊重し合い、赦し合い、受け入れ合うとき、家庭は平和で安心した居場所(基地)となります。具体的には、家族の会話(きちんと思いを言葉にすること)を大切にし、生活の優先順位を確認しあい、喜びや課題の分かち合いを積み重ね、家族(共同体)作りを目指し努力したいものです。
2️⃣ 「三人」:子どもの誕生と共同体の拡がり
子どもを授かると、家庭は「二人」から「三人以上」の小さな共同体へと成長します。子どもの存在は、大きな喜びであり祝福ですが、新たな課題も次々と生まれます。そこで力を発揮するのは、親(保護者)の有り様です。是非とも家庭が確かな子どもの安全基地(居場所)となり、彼らが明日に希望をつないでいける土台造りに心したいと存じます。
それぞれのご家庭に事情と特徴があります。この聖句を単刀直入に家庭に当てはめるなら、「家庭はキリストが共におられる『小さな教会』である」ということでしょう。わが家は「小さな教会」、そんな家庭像を描きながら幸せな家庭がさらに増えていくことを願い、お祈りしています。
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年9月号)
月の聖句:
主は羊飼い。
わたしには何も欠けることがない。
詩編 23編1節
「わたしは羊?」
「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。」 詩篇23編1節
いよいよ二学期。学期のなかでは、最も長い日々を刻みます。本来ならば、九月の声とともに秋の気配を感じてスタートするところですが、ここ数年その様子はすっかり変わっていつまで夏が続くのかと恨めしいばかりです。
しかし、園児たちは、暑さにもめげず元気に登園しているのを見ると、眩しく見え羨ましくもあります。その子供たちは、月末には運動会を迎えます。その準備にすぐに取り掛かり、当日を楽しみに練習を積み重ねていくことになります。どうぞ園児たち教職員を覚えてご支援ください。そして、当日を期待のうちにお待ちいただきたいと存じます。
さて、今月の聖句は上掲の通りですが、聖書の中で最も有名なお言葉の一つです。ここに記される羊飼いは、新約では主イエスを指し示します。(ヨハネ10章)そこには「わたしは、良い羊飼い」とあります。しかも「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」ともあります。これは、主イエス・キリストがわたしたちの罪の身代わりとして十字架にかかられたことを意味します。それほどまでの十分な愛を注いでいただけるから「わたしには何も欠けることがない」と強調されています。
その愛を注がれるわたし(たち)を「羊」と表現されるのはどういう訳でしょうか。その特徴は? 1.羊は声で羊飼いを見分ける。羊の目は極端な近視ですが、聴覚は敏感です。それで自分の主人の声を聴き分けられます。2.羊は方向音痴で迷子になりやすい。犬や馬のように帰巣本能を持ち合わせていません。羊飼いなしでは、安心して生きることができません。3.羊は自分を守れない。牙も角も弱く、加えて走るのが遅い。餌食になりやすいのです。4.羊は絶えず世話が必要。定期的な毛刈りや手当が欠かせません。このようなマイナスと思えるものを本来もっている羊ですが、わたし(たち)の姿に譬えられているのが今月の聖句です。しかもそのような私が、羊飼い主イエスの愛を受けて「何も欠けることはない」と確信の言葉となっています。
弱さとたどたどしさに囲われたところがありますが、導きの確かな言葉を聞きわけ軽やかな足取りで日々をたどりましょう。May God Bless You & Your Family!
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年10月号)
月の聖句:
あなたがたはそれぞれ、
賜物を授かっているのです。
ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
賜物を用いて
秋の気配が日に日に濃くなり、園庭にも涼しい風が吹き抜けるようになりました。去る27日(土)、本園の運動会をさわやかな秋晴れの下無事に終えることができました。当日は、子どもたちが元気いっぱいに走り、踊り、笑顔を見せてくれました。保護者の皆さまの温かいご声援とご協力に、心より感謝申し上げます。子どもたちにとって、練習の積み重ねやお友達と力を合わせる経験は、大きな成長の糧となりました。
これから迎える秋は、子どもたちの活動がますます深まる季節です。園庭の落ち葉やみかん・キゥーイ、散歩先で出会う自然の恵みは、子どもたちの感性を豊かに育ててくれます。製作活動や歌、絵本、また日々の遊びの中で、子どもたちは自分なりの表現を見つけ出し、友だちと共有していきます。先生方もその小さな「発見」を大切にしながら、一人ひとりの歩みに寄り添っていきたいと願っています。
十月の聖書の言葉は「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているからです。」(ペトロの手紙一4章10節)です。「賜物」はギリシャ語で「カリスマ」と言いますが、特別な人に与えられたものではなく、神様からの恵みとしてすべての人に与えられています。子どもたち一人ひとりには、神さまからいただいた大切な賜物、すなわち個性や力が備えられています。走ることが得意な子、歌うことが好きな子、友だちに優しく声をかけられる子──その姿はどれも尊い輝きです。私たち大人は、子どもたちの小さな芽を見逃さず、励まし育むことで、その賜物がさらに豊かに実を結ぶことを願っています。
秋の保育を通して、子どもたちが自分の賜物に気づき、それを友だちや家族と分かち合う喜びを味わえるよう、共に歩んでまいりましょう。今後とも変わらぬご理解とご協力をお願い申し上げます。
秋の味覚を楽しみ、ご健康に留意されますように。
May God Bless YOU & Your Family!
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年11月号)
月の聖句:
神は愛です。
ヨハネの手紙Ⅰ 4章16節
神さまありがとう
秋も深まり、園庭の桜が色づき落葉が始まっています。朝夕の冷え込みが感じられる季節となりましたが、こどもたちは元気に登園し外遊びに夢中です。夏の猛暑で思うように遊べなかった分、いまは自然の中で季節の移ろいを五感で感じながら、のびのびと過ごしています。
11月の聖句は「神は愛です。」(ヨハネの手紙一 4章16節)です。これは聖書の中でも最も短く、そして最も深い言葉のひとつです。聖書で特に神の愛について記されるときは、「アガペー」という言葉で「無償の愛」を表し「見返りを求めない深い愛」と言われます。私たちはその無償の愛によって生き、また誰かを愛することで生かされています。神さまの愛は目には見えませんが、子どもたちの笑顔や友だちへの優しい言葉、先生たちのあたたかなまなざしの中に確かに息づいています。やがて迎えるクリスマスは、その神の愛が最も豊かに示される時です。間もなく子どもたちは祝会の準備に取り掛かります。どうぞ楽しみにお待ちください。
今月の保育テーマは「神さまありがとう」です。感謝の心をもつことは、愛を感じ取る第一歩です。それは相手を意識し、思いを受け取ることでもあります。英語では「Thank you for ~」と、その理由を添えて感謝を表します。私たちも日々の中で「~でありがとう」と言いたくなる瞬間をひとつでも多く見つけたいと思います。保育の現場では、お友だちが手を貸してくれたとき、先生が励ましてくれたとき、おうちの方があたたかいお弁当を作ってくれたとき————その一つひとつが神さまの愛のかたちだよと「気づき」を促したいと願っています。「ありがとう」がこだまする幸せな空間作りができたら素晴らしいなと夢見ながら・・・。
ご家庭でもどうぞ「今日、どんなありがとうがあった?」とお子さんに尋ねてみてください。日々の会話の中に、愛と感謝が広がっていくことを願っています。寒さに向かう季節、どうぞ皆さまお体を大切にお過ごしください。
神さまの愛と祝福が、皆さまのご家庭に豊かにありますように。
副園長 村上 義治
三愛だより(2025年12月号)
月の聖句:
「その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共に折られる」という意味である。
マタイによる福音書1章23節
ひろがるよろこび クリスマス!
いよいよ待降節(アドベント)が始まり、クリスマスへと心を向ける季節になりました。朝の空気には冬の冷たさが増し、園庭の木々も葉を落とし始めていますが、子どもたちは変わらず元気いっぱい。落ち葉を集めるなど、季節の移ろいを全身で感じています。寒さの中でも、子どもたちの笑顔と温かなまなざしが、私たちに小さな光を届けてくれます。
12月の聖句は、マタイ1章23節「その名はインマヌエルと呼ばれる」。そして聖書はその意味を「神はわれらと共におられる」と伝えています。クリスマスは、まさにこの言葉を思い起こす特別な時です。神さまは遠くにおられるのではなく、私たちのすぐそばに寄り添って下さるお方であること。そして、その愛とまなざしは、子どもたちの姿を通して私たちの日々にも確かに表されています。
また12月の保育主題は「知らせよう」です。クリスマスに向けて、園では歌をうたい、飾りをつくり、ページェントの練習も始まります。子どもたちは嬉しいこと、見つけたこと、心に灯った温かい気持ちを、自然と友だちや先生に「知らせたい」と思うようになります。誰かに伝えることで、喜びはさらに大きなものとなり、またその喜びを受け取った人の心にも優しい光が広がっていきます。
イエスさまの誕生を知らせたのは、空の星であり、天使であり、羊飼いたちでした。どれも大きな力を持っていたわけではありません。しかし、それぞれが与えられた場所で、見たこと、感じたことを素直に伝えました。子どもたちも同じように、自分の感じたことを大切にし、そこにある小さな気づきを誰かと分かち合うとき、心は豊かに育まれます。
私たち大人も、子どもたちの話に耳を傾け、嬉しさや発見を共に喜び、その心の動きを大切にしていきたいと思います。「インマヌエル――神は共におられる」という聖書の言葉が知らせているのは、温かさと希望の物語です。私たちがその思いを胸に、子どもたちと歩む日々を積み重ねるとき、園全体が一つの優しい光に包まれていくことでしょう。
どうかご家庭でも、クリスマスの灯を囲みながら、子どもたちの思いに寄り添い、喜びを分かち合うひとときをお過ごしください。12月も、皆さまに守りと恵みが豊かにありますように。
副園長 村上 義治
三愛だより(2026年1月号)
月の聖句:
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、
神と人とに愛された。
ルカによる福音書 2章52節
知恵が増し、背丈が伸びて・・・
新年あけましておめでとうございます。三学期を迎えましたが、今学期の保育日数は五十日弱と、年度の中でも最も短い学期です。「二月は逃げる、三月は去る」と言われる通り、日々は瞬く間に過ぎていきます。この限られた時間の中で、三・四歳児は一年の保育の仕上げと進級への備えを、五歳児は旅立ちの時を迎えます。それぞれの子どもたちの育ちに確かな一歩が刻まれることを心に留め、丁寧に向き合っていきたいと願っています。
二学期の終業日に行われたクリスマス祝会では、子どもたち一人ひとりの表現や姿に大きな感動を覚えました。緊張しながらも友だちと心を合わせ、精いっぱい取り組む姿は、この一年の成長そのものでした。クリスマスのにぎわいが少しずつ静まり、冬の澄んだ空気の中で新しい年を迎えた今、私たちは幼いイエスの歩みにも思いを向けたいと思います。
聖書には「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカによる福音書二章五二節)と記されています。特別な出来事ではなく、日々の生活の積み重ねの中で育っていかれた主イエスの姿は、今を生きる子どもたちの成長と深く重なります。
今月の保育目標は、三歳児は「じっくりと」、四・五歳児は「広がる」です。三歳児は、一つの遊びや体験に心と体を委ね、繰り返し関わる中で安心と信頼を育んでいきます。四・五歳児は、友だちとの関わりや新しい挑戦を通して、自分の世界を広げ、互いを認め合う力を育てていきます。
冬の寒さは、子どもたちの五感を豊かに刺激します。冷たい空気、白い息、霜柱の音や感触――自然の厳しさの中にある発見と喜びを、子どもたちは全身で受け止めています。こうした体験は、季節と共に生きる感性を育てる大切な学びでもあります。
主イエスが日々の中で育っていかれたように、子どもたちもまた、毎日の小さな経験を通して大きく成長していきます。一日一日を大切に重ねながら、それぞれの歩みを確かめ合っていきたいと思います。本年も、ご家庭と園とが心を合わせ、子どもたちの健やかな成長と新たな歩みを共に喜び、あたたかく見守ってまいりましょう。皆様の本年の祝福をいのりつつ・・・・。
副園長 村上 義治
三愛だより(2026年2月号)
月の聖句:
わたしがあなた方を愛したように、
互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 15章12節
「互いをおぼえて」
陽ざしが少しずつ長くなり、春の訪れを感じる季節となりました。年度もいよいよ締めくくりの時を迎え、子どもたち一人ひとりの歩みを振り返ると、この一年の中で、できるようになったこと、心が動いた瞬間、人との関わりの中で悩み、考え、そして乗り越えてきた姿が数多く思い起こされます。
今月の聖句は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書15章12節)です。このみ言葉は、私たちがまず神さまの愛に包まれている存在であることを示し、その愛を受け取った者として、互いに向き合い、支え合って生きることへと導いています。
3歳児の保育主題は「つながりあう」です。祈りを通して神さまとつながり、日々の遊びの中で友だちや先生とつながっていく——その一つひとつはまだ小さく、言葉にならないことも多いものです。しかし、「一緒にいる安心」や「分かち合う喜び」は確かに子どもたちの心に芽生えています。手を取り合うこと、同じ遊びを繰り返すこと、その積み重ねが、つながりの確かな土台となっています。
4・5歳児の保育主題は「豊かになる」です。他者のために祈ること、自分の思いだけでなく相手の気持ちに耳を傾けること、時にはもめごとを経験しながら話し合い、折り合いを見つけていくこと——そうした過程を通して、子どもたちの世界は少しずつ広がり、深められてきました。思い通りにならない経験さえも、心を耕す大切な学びとなっています。
教職員一同は、進級・進学を目前にした子どもたちの支援者として日々関わってきましたが、振り返ってみると、私たち自身も子どもたちとつながりあう喜びを何度も味わってきたことに気づかされます。その積み重ねが子どもたちの成長となり、同時に、私たち一人ひとりの人としての豊かさへとつながっていることを実感しています。
年度末は、別れと旅立ちの時です。しかしそれは同時に、積み重ねられた日々が確かな実りとなり、次の歩みへとつながっていく時でもあります。神さまの愛に支えられ、互いに愛し合う中で育まれてきた子どもたちの姿を、感謝と希望をもって見つめながら、新しい年度へと歩みを進めてまいりたいと願っています。
May God Bless You & Your Family!
副園長 村上義治