学校法人 八千代台教会学園
三愛幼稚園
三愛だより(2024年4月号)
月の聖句:
新しい歌を主に向かって歌え。
詩篇96編1節
春の4月を迎えてちょうど満開の桜の足元、花壇のチューリップやたくさんのお花も咲きそろいました。三愛の新しい一年が始まります。球根を植えた卒業生を送りだした幼稚園に、可愛いひつじ組さん・ゆり組にも新しいお友だちが加わります。今年は29人で始まる三愛幼稚園をみんなでいっしょに楽しく一年過ごしてまいりましょう。先生たちにも新しく先生が加わりました。サヨナラをした有可先生と同じ、お嬢さんを保護者として三愛に送られた片寄綾乃先生です。それぞれのご家庭が送り出してくださる子どもたちこそが主役の三愛らしい幼稚園をこの年も紡いでいきたいと、保育者皆で思いを新たにしています。
「つくしのように、すくすくと
主イエスの子どもよ、伸びて行け」
3月に寒さが戻り、少し遅くやってきた今年の春、毎年、園の裏に顔を出すツクシもゆっくりでしたが、シッカリと背を伸ばしました。ゆり組で3月歌った歌をほし組になった子どもたちは新しい気持ちをもって歌います。三愛幼稚園ではクラスで毎月「新しい歌」をおぼえます。元気に歌って一緒に守る礼拝で進級式・入園式を行います。テレビでは聞くことがない歌は神さまに歌うさんびかです。その歌声を聞いて喜んでくださる神さまの愛をいっぱいに受けて子どもたち一人一人が健やかに育まれる毎日となりますように愛されているから人は愛することが出来るのですね。
ご家庭でご家族の愛をいっぱいに受け日々育つお子さんたち、園の私たちもその心で毎朝お迎えします。神さまが愛して下さっている愛を、子どもたちと寄り添う日々の保育で覚えていく。教会の三愛幼稚園の願いです。この愛の中を新しい思いで新年度を始めましょう。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年6月号)
月の聖句:
見よ、それは極めて良かった。
創世記1章31節
聖書のはじめ創世記の天地創造の物語です。混沌の闇に「光あれ」とお命じになって、神様は昼と夜を造り、一日を造られました。二日目に天、三日目に地と海と生い茂る植物、四日目に昼を照らす太陽と夜に輝く星々、五日目には空を飛ぶ鳥と海に泳ぐ魚たちを造られた神様は、一つ一つを「見て、良しとされ」祝福されました。そして六日目です。地に生きる動物たちを造った神様は、ご自分にかたどり人間も造り全てを委ねられました。そこで記されるのが今月の聖句「見よ、きわめて良かった」です。「良い」とは「美しい・納得した」という意味です。造られたご自分の作品すべてを手ずから愛でてご覧になり「きわめて良い」と、改めて神様は言われるのです。ところで、地の動物たちは家畜・獣に加えて「地を這うもの」とも書かれます。エデンの園でアダムとイブを唆すことになるあの蛇も、神様は「良かった」と言っておられるのだなあと気づきました。
私事で恐縮ですが、私の2歳半の娘に、昨年の夏に難聴が見つかりました。検査を重ねる中で、補聴器では十分な聴力が得られない聴覚障がいと判り、聴こえを得るための人口内耳埋め込みの手術を受けたところです。難聴とは寝耳に水で、「ちょっと言葉が出るのが遅いな」位に思っていた私は動揺しました。彼女が生まれて一年半を振り返り、何か聴こえを失う失敗を親の私がしてしまったかと、くよくよ考えました。原因は遺伝によるものと判りました。私と妻のそれぞれが難聴の遺伝子を持っていてそれを娘が受け継いだということ。一〇〇〇人に一人位の割合で生まれてくるのだそうです。原因が判り不思議と心が晴れ、娘の育ちに向き合っていく気持ちが湧いて来たように思います。大変だけどこれも「良い」と神様が彼女に下さった個性だ。人一倍表現豊かに良く動き人懐っこく良く笑う娘を見て今受け止めています。
「やさしい目が きよらかな目が
きょうも わたしを 見ていてくださる。
まっすぐに歩きなさいと 見ていて下さる。」
このこどもさんびかは、子どもも大人も皆を見て「きわめて良かった」と喜ぶ神様の目を受け止めて歌われます。本当に個性豊かな子どもたちが集った三愛幼稚園。神様が注がれる眼差しの下、一人一人を見つめる保育をなして行きたいと願います。「良かった」と言われるお声に励まされて、三愛の子それぞれのその子に相応しい育ちを見て、一緒に喜ぶ毎日となりますように。
園長 山本 信義
三愛だより(2025年3月号)
月の聖句:
わたしはあなたと共にいる。
イザ ヤ書43篇5節
『人生に必要なすべては幼稚園の砂場で学んだ』。25年程前にブームとなった一冊ですが、子どもたちの園での姿を見るに新鮮な気持ちで思い起こす一文です。著者のロバート・フルガムは88歳になる元牧師です。
「どうやって生き、何をして、何になろう?知らねばならない必要の全てを私は幼稚園で学びました。その知恵は大学院という山の頂ではなく「教会の幼稚園」(原著は『日曜学校』)のあのお砂場にありました。学んだことは、私の人生のクレド(=信条)となっています。
みんなと何でも分け合うこと。ズルせず遊ぶこと。人をぶたないこと。使ったおもちゃは見つけた場所に。ちらかした後はお片付け。お友達のものを盗りません。誰かを傷つけたら、必ず先ず「ごめんなさい」。ご飯の前には手を洗って、トイレのお水は流します。温かいクッキーに冷たいミルクは美味しいね。バランスの良い生活を―毎日、ちょっと学んで考える。お絵描き・歌・ダンス・遊びもちょっとずつ。仕事も毎日ちょっと。毎日のお昼寝だって大切です。お外に出たら車に注意、お友達とは手を繋いで、離れてどこかに行きません。
『不思議だな』の気持ちを大切に―カップの小さな種を覚えておいて。根が出、芽が伸び、大きな草花に。でも何故どうやって育つのか?ホントは誰も知りません。 ―私たちみんなも同じです。金魚もハムスターも ハツカネズミもカップの小さな種だっていつかは死んでしまいます。―私たちだってね。そして…あの読み書き絵本の最初のページの言葉を忘れないで!一番大きな文字の一番大切な言葉です。『見てごらん!』」。
(All I really need to know I learned in Kindergartenから拙訳)
3月の聖句は、旧約聖書のイザヤ書に繰り返される言葉です。どんな災いに襲われようとも、恐れるな「わたしはあなたと共にいる」神様の約束です。イエス様も同じ約束の言葉を以て励まされます。その理由は繰り返す約束の間の神様の言葉にあります。「私の目に、あなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」と見て下さっている愛の眼差しです。
4月からは小学生になるほし組さん、卒業式で「どんな時でも」を歌います。幼くして得た重い病に「どんな時にも挫けてはならない。…イエス様の愛があるから」と決して挫けなかった少女が綴った讃美歌です。共におられる神様は、いつも一人一人を見つめておられます。一つ大きくなるひつじ組・ゆり組さんの子どもたちも、三愛の子たち皆が、この眼差しを確かに覚える締めくくりの3月となりますように。
園長 山本 信義
三愛だより(2025年2月号)
月の聖句:
わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章10節
連日、暖かなお日様が照らす園庭狭しと、思い思いの遊びが広がる様子の見られる恵まれた今年の冬です。でも連日のカラカラ天気でグランドはカチカチで風が吹けば砂ぼこり。冬なのに水撒きは欠かせません。歌っている「ぱらぱら落ちる」の「渇いた土を柔らかにして…」恵みの雨って、本当だなあと思うこの頃です。
お部屋では、ほし組さんから園全体に広がって「郵便ごっこ」が行われています。家族の方に、お友達・先生に、自分ではがきを書いて届けます。「伝えたい」気持ちを意欲に、言葉を覚えるようにと、幼稚園が大事にしている活動です。上手に書けず気の乗らない子がいても「お手紙が届いて嬉しい」「お返事が来て嬉しい」の気持ちが糧となり取組んでいけると良いですね。
三学期も半ばを迎えるこの折(に限りませんが)、園の様々な場で、上手に出来たこと、夫々の長所に応じた成長を確かに感じる機会が増えてきます。ご家庭では猶のことと思います。でも他の子と較べて苦手・不得手なことが際立つ時にもなるのかもしれません。園の営みを通し、苦手なところも頑張っても伸ばしたい願いは大切です。でも、弱さにばかり目を奪われる関わりとはならぬ様に注意せねばと(自戒を込めて)思います。特にその子が自分の苦手にコンプレックスを感じ、取り組む気持ちも萎えさせてしまわない様に。ここで苦手なことも、思わぬ仕方でその子の力を発揮されることもあるからです。
パウロという人は自分の弱さに囚われ、酷く悩んでいました。「一つのとげ・悪魔の使い」と呼ぶまでの自らの弱さを取り去ってと、三度祈った程でした。でこの弱さを抱える「弱い時にこそ、私は強い」と言うのが今月の聖句です。この聖句の秘訣は祈る彼に現れ語られた主イエスの次のお言葉でした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。この主の言う「力」を用いた語で今月の聖句の「強い」は綴られます。パウロの弱さを全てご存じのイエス様は彼の弱さを、恵みによりご自分の力の働く場とされました。その時、彼の弱さは強さと用いられたのです。
卒業に向かうほし組も、ゆり・ひつじ組も年度末の発表にも取り組み始めました。それぞれの子の個性が豊かに用いられ、子どもたちの一年の成長が現れる機会となりますように。残り僅かな三学期し、イエス様の恵み豊かに、みんなで過ごしていきたいと思います。それぞれのご家庭に祝福を祈ります。
園長 山本 信義
三愛だより(2025年1月号)
月の聖句:
受けるより与える方が幸いである。
使徒言行録 20章35節
新年を迎えました。皆さんいかに過ごされましたか。お出かけや帰省、親としてはホッとできるのは束の間で何かと慌しい(出費の多い時節柄の)年末年始ですが、子どもたちにとってはクリスマスにはサンタさん、お正月にはいろんな人からのお年玉、プレゼントいっぱいの嬉しい時となったことと思います。私事ながら、三歳になった娘と甥っ子二人に、私も細やかながらプレゼントを贈りました。「何をあげよう?喜んでくれるかな?」と悩んで選んで面倒だけどラッピング、準備する時って楽しいものですね。貰った包み紙を嬉々と開ける子どもたち、出て来た贈り物を見た満面の笑顔!「受けるよりは与える方が幸いです」って本当だな、と思いました。
今月の聖句は「主イエス御自身が言われたことだと、いつも思い出せ」とパウロが教える中で出てきます。福音書中には無いものですが、弟子に聞かせた主イエスのこの言葉が基なのでしょう。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい(マタイ10・8)」。「タダで」って?これは「贈り物として」という意味の綴りです。Give&Takeが当然の世の中で、喜んで与えるときにこそ初めて、人は既に受けている沢山の贈り物に気づく幸いを得るのだと、イエス様は教えておられるのだと思います。
神様の一番の贈り物は、イエス様を下さったクリスマスに示された愛です。三愛の子一人一人が豊かな恵みの中で、家族やお友達に「与える幸い」を知って大きく育まれる、園の締め括りの三学期の日々となりますように。心より願い祝福を祈ります。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年12月号)
月の聖句:
さあ、ベツレヘムへ行こう。
ルカによる福音書2章15節
12月はいよいよクリスマス。クリスマスまでの一カ月、幼稚園でも、アドベント(待降節)のクランツに週ごと一つずつ、灯を点してこの時を過ごします。
「1本目のローソク、やさしい心をもてるように
2本目のローソク、丈夫な心をもてるように
3本目のローソク、我慢する心をもてるように
4本目のローソク、お祈りする心をもてるように」
小さな灯の様なイエス様を下さった神さまの心に照らされて、みんなの心も育まれていきますように。
夜空に最初のクリスマスの光が輝いたのは、冬の野原で夜通し羊の群れの番をする羊飼いの上にです。光の中から天使は告げました。「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった」。神様の栄光の眩い光に照らされ恐れた羊飼いでしたが、メシアのお生まれの嬉しい知らせを聞いて、喜んで声を上げました。それが今月の聖句です。「さあ、ベツレヘムへ行こう」。直ぐに出かけた羊飼いたちは、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶に眠る赤ちゃんイエス様を見つけます。天使の告げた嬉しい出来事を、今度はみんなに伝えました。
でもどうして羊飼いたちは間違わずに赤ちゃんイエス様のところに行けたのでしょう。「ダビデの町」と言えばダビデ王が立てた立派な神殿のある町エルサレムを、誰もが思った筈です。確かにベツレヘムはダビデの故郷ですが田舎の小さな村なのです。それは、ベツレヘムの少年ダビデも羊飼いだったからです。七人兄弟の末っ子のダビデは、野原で羊の群れの番をしている時に、神様に王様になるよう選ばれました。だから天使は羊飼いダビデの町に貧しい小さな羊飼いたちを招いたのですね。そして、ベツレヘムにお生まれのイエス様も大きくなって羊飼いと呼ばれます。狼から命がけで羊を守る「良い羊飼い」です。このイエス様を教会は伝えます。
園の子どもたちのクリスマスの準備も始まりました。ゆり組・ひつじ組でも嬉しいクリスマスの歌の合奏やダンスに取り組んでいます。ほし組さんは、小さなみんな・おうちの人にクリスマスを伝える、ぺージェントをします。きっとご家庭でも頑張って練習にうちこんでいることでしょう。「上手に出来るかな」って、心配で緊張している子もいるかもしれませんね。でも、何より大事にしたいのは嬉しい心を伝えて分かつこと。小さなみんなが喜んで取り組む心をこそ、神様も喜んで下さいます。クリスマスにお生まれのイエス様を、みんなで喜んでお迎えいたしましょう。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年11月号)
月の聖句:
ひとりよりもふたりが良い。
コヘレトの言葉4章9節
酷暑に残暑はいつまで?と思う九月とはうって変わり穏やかな秋の深まりを感じられた十月でした。お芋ほりでは子どもたち皆袋一杯に抱えきれないほどの立派なお芋を掘り当て、お誕生会ではほし組さんはおやつにお芋の茶巾しぼりをみんなの分も作りました。お散歩に出かけた花島公園では、沢山のドングリを嬉々として拾いました。この便りが届く頃には、ほし組のみんなはぼうけんから元気に帰って来ていることでしょう。ひつじ・ゆりさんも、数年振りの(仮)レストランごっこを楽しみに心を向けています。豊かな秋の実りを受け止めて育つ三愛の子たちを頼もしく思うと共に、この幼子たちのこれからの成長の姿を思い描いて、嬉しく思いました。
「成長させてくださったのは神です。」今月の聖句でパウロはコリント教会の人々の成長を語ります。立派な人格の持ち主になったと褒めているのでしょうか?いいえ、トラブルだらけの教会の人たちを「まるで赤ちゃんみたい」呼びつつも「神様はちゃんと育てて下さった」とこれからの成長も見つめて示し励まします。そのための労苦を植物の成長に譬え「わたしは植え、アポロは水を注いだ」と神と共に働く農夫の仕事に譬えて言うのです。続く節の「あなたがたは神の畑」は「私たちは」とも読めます。神様は私たちも育ててくださる、と。
昨日教会の幼稚園長の会で、文科省・幼児教育課の話を伺いました。国が今広く社会と共有したい「幼児教育の基本」を示して、
「遊びは学び、学びは遊び。‐やってみたいが学びの芽」
との今春作成のYoutube動画が紹介されました。
「子どもたちが思わず関わりたくなる保育環境を園が整えて、その環境にそれぞれの子が主体的に関わり広がる遊びと生活の中で子どもたちは成長する」。私たちのキリスト教保育がずっと大事にしてきた考え方そのものですが、改めて国の教育方針と示され、「三愛の今の保育はここに立っているか?」省みて身の引き締まる思いです。確かに育つ子どもたちと共に神様は園の私たちも育てて下さる、その思いに立つ保育の日々としたいと願います。収穫感謝へと向かうこの月、一人一人が健やかに育まれて育つ姿をこそ実りと受け止めて、共に歩んでいくこの月となりますように。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年10月号)
月の聖句:
ひとりよりもふたりが良い。
コヘレトの言葉4章9節
二学期なのに一向に収まりを見せない異常な酷暑も、運動会の土曜が節目になってくれた様です。ギラギラの陽も午前中は雲が遮る空の下、運動会を行えました。各ご家庭の協力もいただき、クラス競技・親子競技・全園児競技・ほし組のリレー迄、元気な笑顔で行えたこと感謝です。運動会の「ちから」の歌の通り、三愛の子みんなが、一人一人でペアでチームで、力を発揮する時を与えられました。この讃美歌の2番はこう歌います
神さまください、助けるちからを。
みんなといっしょに助けるちからを♫
「元気な・遊ぶ」「信じる・生きる」といろんな「力」を謳う中「助ける力」は繰り返し歌います。「助けてあげる」だけでなく「助けて貰う」のも立派な「力」と教えられます。
ほし組さんではもう一つ讃美歌「どんどこ」を歌いました。♫どんとこ・どんどこ、歩いていけば、友だちが来て、二人になって…♫。四人に、八人に、倍々に沢山になるお友だちと神様の子どもになって一緒に行くよ。「ちから」と共にこの時にピッタリの歌だと思います。
ダウン症の天才書家と知られる金澤翔子(39)さんの書と共に母泰子さんの講演を伺ったことがあります。翔子さんが小学校普通学級に入った頃。生来障がいを負った我が娘、勉強もかけっこも跳びぬけてビリの姿が辛く、「他の子のお荷物」「手を煩わせるばかりで申し訳ない」と口にする泰子さんに、担任の先生は言われたそうです。「翔子ちゃんのいるクラスは穏やかになって優しくなる。だからいいのよ」。とても嬉しく、当時読み漁った本の「神は不要なものをお造りにならない」との言葉が胸に落ちたのだそうです。そもそも競争なるものを知らない娘が喜んでビリでいられるのは立派な力。揮毫の力強い「空(くう)」の書と共に示されたことを思い起こします。
「空の空、一切は空である」。この「空」を基調とする旧約コヘレトの書の中に「ひとりよりもふたりが良い」今月の聖句はあります。「共に苦労すれば、その報いは良い、倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。…ふたりで寝れば温かいが、ひとりでどうして温まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。」と続きます。これはお互い協力する力の教えに留まりません。「三つよりの糸は切れにくい」(同じ「三愛」を掲げる千葉英和高校のスクールモットーです)と続くからです。ふたりを一つにして本当の強さを生み出すために、見えないもう一人の方がおられます。自ら加わり縒り合される、それが神様というお方です。やっと訪れた秋の季節、みんなで一緒に歩んでいきましょう。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年9月号)
月の聖句:
人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。
マタイによる福音書7章12節
熱中症アラートが町内放送でも朝から伝えられ、日替わりでいずれかの町に気温40℃到達が報じられる苛烈な酷暑。加えてお盆は(千葉はかすめて行きましたが)直撃の台風に、開けてはゲリラ豪雨。数年前「日本の気候は変わった」と盛んに言われた極端な気候も日常になってしまった感のある今年の夏でした。夏休みのご予定にも悩まされたのではとも思いますが、各ご家庭で様々に工夫されたことでしょう。夏休み最初の教会の夕涼み会①(②は列島縦断のこの台風で残念ながら中止でしたが)、「遊びに来ませんか」コンサートで会えた子たちからも、何より8月最後の夏期保育のプール遊び・ゲーム・お誕生会に、揃った元気な顔にそれぞれの子が「この夏ならではの体験」をし、喜んだことだろうと実感しました。
2学期最初の聖句は「主において常に喜びなさい」。「喜べることばかりではないよ」って正直な思いですが、記したパウロという人もこの時とても喜べない状況にいました。これは理由なく捕われた獄中で書いた手紙の中の一節なのです。それでも喜べる秘訣は「主において」です。悲しい時・つらい時・嫌なことがある時。喜べない思いに患うのは子どもだけではありません。そんな時、傍に来て「喜びなさい」と励まして喜びを下さるのがイエス様という方です。このイエス様の愛の中で常にいることを知り、喜びを子どもたちにも届けたい。キリスト教の幼稚園のある理由はこれに尽きます。暫く暑さが続きそうな9月も、それぞれの子みんなが喜べる三愛幼稚園の毎日を届けたいと願うものです。
夏休み中、ちいろば隣のトイレのリニューアルをしました。薄暗かったトイレも廊下から明るくなりました。キウイのおうちも手作りで修繕しました。ささやかな工事で築60年の園舎を見違えるほど変えるのは難しいものですが「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」。子どもたちが喜んで使える様にと教会の方々が思いを寄せられました。
「今日もイエス様ここにいてみんな仲良く遊ぶ。楽しく始まる幼稚園」の2学期は運動会に始まって沢山の行事が目白押しです。みんなで喜びを見つけて楽しく過ごしていきたいと思います。「常に喜びなさい」このイエス様のお声が聞こえてくる保育を一緒に作っていくことができますようにと祈るものです。
園長 山本 信義
三愛だより(2024年夏期号)
月の聖句:
人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。