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三愛だより(2024年3月号)

月の聖句:

      主よ、あなたの道をお教えください。

                   詩編86篇11節

 今年は極端な三寒四温の繰り返す中、着実に春は近づき、園でも一年の締め括りを迎えています。うるう年の29日、一つ大きくなるゆり組・ひつじ組はほし組さんとのお別れ会の時を持ちました。ほし組さんは卒業の色んな準備もありますが、残り僅かな園生活を愛おしく、体と心を動かして、目いっぱい楽しんでいる様子です。

 三愛幼稚園では、卒「園」じゃなく卒「業」と呼びます。園という「場所」にただサヨナラするだけでなく、友達や先生たちと遊んで体験した園生活で、見つけたり、出来るようになったり…、身に着けた「業」を確かめて送り出すことと考えるからです。でも本当に確かめたいのは、見える業を体験する中で、喜んだり、頑張ったり、時には悔しかったり、我慢したり…、子どもたちみんなの心が感じた一つ一つの豊かな経験です。「わたしたちは、見えるものでなく見えないものに目を注ぎます」(卒業式の聖句:コリントⅡ4・18)。この「見えないもの」こそが、小学校・さらに先に道を行く、三愛の子を確かに導き励ます力となると願い信じているからです。

 「主よ、あなたの道を教えてください」。3月の聖句のダビデの詩に卒業式の讃美歌を思います。

 「山には険しい道が」この歌の折り返しで「進め 友よ 進め、真理を求めて進め」と小気味良いリズムで歌います。険しい道も、山にある「まことの泉」を目指し進もうと、励まし歌います。詩人ダビデも「わたしはあなたのまことの中を歩みます」と続けて歌うのです。

 卒業生に贈る新約聖書に書かれているのはイエス様のことです。別れを告げる弟子たちにイエス様は「わたしは道であり、真理である。わたしを通って行きなさい」(ヨハネ14・6より)と教えられました。でもイエス様を通るって?弟子たちに先ずイエス様は教えておられました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。「イエス様を通る」とは、イエス様の、神様の愛の中を進むことです。「どんなときにも、苦しみに負けず、幸せを求め、くじけずに、イエス様の愛を信じて」愛の道を行くことです。

 「幼稚園に、お友達・先生に、神様に愛され、愛を知り、愛する子に」私たちの幼稚園の心です。この三愛の心を確かめて、今年も「はじめの一歩」を歩みだす一人一人を送りたいと願います。一人一人の道を、これからもイエス様が愛して導かれます。節目・門出を迎える三愛の子どもたちに、ご家庭に祝福を祈ります。

                         園長 山本 信義

2月
1月
12月
11月
10月
三愛だより(2024年2月号)

月の聖句:

     喜ぶ人と共に喜び、
        泣く人と共に泣きなさい

          ローマの信徒への手紙 12章15節

 早いもので三学期も半ばを迎えました。この季節恒例の「郵便ごっこ」が始まりました。ほし組に始まり、ゆり組・ひつじ組さんも誘って園全体に広がります。「お手紙が届いて嬉しい」「お返事が来て嬉しい」って声が聞こえます。思いを記し誰かに届けるって素敵ですね。

一年の園生活を進める中で友だち同士の関わりが各学齢に応じて様々に深まっている様子を、二学期の反省会で各担任より聞きました。幼稚園が大好きになる(=愛する)日々の中で、お友だちを見つけ一緒に遊ぶ経験を重ねて、大切に思う(=愛する)三愛の祈りの心が、幼い子たちの中に今年も培われていると嬉しく思いました。

 「喜ぶ人と共に喜ぶ」。今月の聖句に重なります。でもさらに「泣く人と共に泣きなさい」とさえ教えます。困っている人を見て可哀そうと同情するにせよ、「一緒に泣く」迄って、大人にも難しいなあって思います。

聖書にはイエス様を「わたしたちの弱さに同情できない方ではない」と記す箇所(ヘブライ4・15)があります。でもこの語は英語のsympathyの基になる「共に苦しむ」という綴りです。気持ちとしてのの「同情」を超え、心震わして「共感」する愛の行為です。私たちの喜びの時に共に喜んで下さり、涙を流す時共に泣いて、試練を一緒に先んじて担って下さったイエス様が確かにいらっしゃる。私たちが伝えたい「三愛」の一番の愛がこのイエス様を私たちに下さった「神様の愛」です。共感力の確かな源である愛です。

 残り僅かな3学期、寒さに負けず、からだを動かして遊ぶ日々の中で心も一杯動かして、保育の日々を過していきたいと思います。特に小学校が近づくほし組さんはお友だちと精一杯に遊ぶ幼稚園の締めくくりの時です。卒業式の二つのさんびか「山には険しい」と「どんなときにも」。心から晴れやかに歌えるような豊かな毎日をみんなで重ねて行くことができますように。「どんな時にもイエス様の愛」を確かに受け止め「足もと踏みしめ…進め、友よ」と高らかに歌えますように。お互いを思う心が分かち合われ、豊かに育まれて行きますように。

寒い季節です。インフルエンザを初め・感染症には十分に気を付けて!それぞれのご家庭に、豊かな祝福がありますよう祈ります。       

                         園長 山本 信義

三愛だより(2024年1月号)

月の聖句:

     「わたしはぶどうの木、
        あなたがたはその枝である。」

           ヨハネによる福音書 15章5節

 クリスマスに始まった冬休み、皆さん如何にお過ごしになられましたか?迎えた新年元日に大変な地震が能登半島で発災しました。近しい方で被害に遭われたご家庭はなかったでしょうか?私の郷里は金沢で、実家は全く無事でしたが、最たる被災地の輪島はしばしば訪れた馴染み深い地。奥能登の海沿いの美しい町がすっかり変わってしまった詳細を日々伺い、心を痛めています。七尾にある教会の幼稚園からもお知らせを伺いました。こども園の園舎は元日夜より臨時の避難所に。四日からは自主登園で子どもたちの受け入れを始めておられるそうです。地理的にも厳しい冬の能登半島、被災の最中に今ある方々に必要が早く備えられ、子どもたちの「いのち」が守られ支えられますように、と切に祈ります。

 「まことのぶどうの木であるわたしにつながっていなさい」と教える新年の聖句。イエス様は続けて、私たちを愛されるイエス様を通じ、神様の愛に「とどまりなさい」と教えられます。元々の言葉で「つながる」と「とどまる」は同じです。神様の愛はここにあるから、この愛をしっかり受け止め、とどまる時に豊かな実はちゃんと結ばれる、とイエス様の言うこの愛が「三愛」の愛です。

 今日から始まる三学期、寒さ深まり心配もまだある中ですが、三愛の子どもたち一人一人が神様の愛の中で過ごし、確かに豊かな実を結ぶ、一年の締めくくりの園の毎日となりますように。

                          園長 山本 信義

三愛だより(2023年12月号)

月の聖句:

     ひとりの男の子がわたしたちに与えられた

             イザヤ書9章5節

 いよいよイエスさまのお生まれのクリスマスがやってきます。ほし組ではページェント(降誕劇)の練習が始まりました。マリアとヨセフ、天使たちにお星さま、羊飼いたちに三人の博士、宿屋さん、とそれぞれに決まったクリスマスの場面の役、それにナレーター・聖歌隊も兼任で、セリフも歌も沢山!「上手に出来るかな」ってドキドキしている子もいるかしら。でも、遊びの時間の園庭にも嬉しく歌う声が聞こえてきて頼もしく思います。きっとお家にも歌声が響いていることでしょう。

 ♪アドベント・クランツに灯がつくと♬の歌声と共に一本目のろうそくに灯が点りました。週ごとに灯を加え4本ついたらクリスマス。近づいてくる神の子イエス様のお誕生のクリスマスまでの一か月を数えて待つときを教会ではアドベント(待降節)と呼びます。

 年中小も聖書のクリスマスの歌を歌います。ひつじ組は、赤ちゃんイエス様を訪ね、ピカピカ光る星を目指しラクダに乗って旅した博士たちの歌「お星が光る」。ゆり組が歌うのは、このイエス様の誕生を何百年も嬉しく待っていた人達に伝えられた「神さまのお約束」です。

 今年のクリスマスの聖句も昔ユダヤの人たちが聞いた神様のお約束です。「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた」。預言者イザヤは嬉しい知らせと伝えます。生まれたのは救い主だからです。この預言はヘンデル作のオラトリオ(歌による降誕劇)「メサイア(救世主)」の降誕場面の歌詞となっています。救い主の呼び名が高らかに歌われます。「驚くべき助け手、力ある神、永遠の父、平和の王」と4つの名で一人の男の子が呼ばれます。そんな救い主が私たちに与えられたのだ、と。

 クランツに一つずつ灯を点して、子供たちと

  「一本目のローソク、やさしい心をもてるように

   二本目のローソク、丈夫な心をもてるように

   三本目のローソク、我慢する心をもてるように

   四本目のローソク、お祈りする心をもてるように」

何十年も三愛幼稚園で伝えて来たのは、この神様のお約束なのだと思います。4つの灯の心はイエス様をいただいたみんなに灯る一つのクリスマスの心だからです。

 アドベントは、ラテン語のadvenire(到来する/目標に向けて身を傾ける)が由来です。ここから「アドベンチャー・冒険」という言葉も生まれました。神様は情熱を注ぎ冒険して、救い主のイエス様を私たちに送り届けてくださいました。一番のプレゼントをいただく日、みんなで嬉しくクリスマスをお迎えしましょう。

 

                         園長 山本 信義

9月
夏期
7月
三愛だより(2023年7月号)

月の聖句:

     主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。

               詩編5篇4節

 早くからの蒸し暑さが連日続く今年の梅雨です。親戚から沢山のカブトムシを分けて貰いました。聞くところ一つがいの産んだ卵が見事に孵化し五十匹に!甥達の「逃がしたら天敵に襲われるから」の声に、叔父の私の園にやって来たわけです。2年ぶりの飼育ケースを整え朝の遊びの園庭でお披露目すると虫好きの子たちが大集合。最初はおっかなびっくり背中に指で触れてみる子たちも、枝に載せたり、体操服に上らせたり、掌に載せる子も!「ちょっと怖くても乱暴はダメ。生きてるからね」一緒に観ている子たちからの声も聞こえます。

 同じ日にやって来たつがいのノコギリクワガタ、ゆり組にお目見えのカメさん。5匹のウサギも元気に葉っぱを食べて小さな動物園みたい。時々連れて行くわが娘もそうですが、自分より小さい命を迎えるさんあいの子どもたちの優しい心が育まれていると嬉しく思いました。どれもみんな神様がお造りになった命です。

神さまが全てを造られた天地創造の最初、真っ暗闇の中「光あれ」と神さまが言うと、お陽様の上る朝が出来ました。それを見て神さまは「これは良い」と言われました。今月の聖句で覚える朝の始まりです。

 こんな言葉を思い起こしました。

 「太陽が毎朝東の空から昇るのは、昇るのに飽きることを知らぬからだ。毎日同じことを繰り返すのは、生命が無いからではなく、生命に溢れているからなのだ。…面白い遊びや冗談が見つかった時、子供はどうするか。同じことを飽くこともなく繰り返しているはずだ。子供がリズムに合わせて足で地面を蹴り続けるのは、活力が足りないからではなく、あり余っているからだ。子供は活力に溢れていて、力強く自由な精神に恵まれているからこそ、同じことを何度でも繰り返し続けて飽きることを知らぬのだ。子供はいつでも『もう一度やろう』と言う。大人がそれに付き合っていたら息も絶え絶えになってしまう。大人には歓喜して繰り返すほどの力がないからである。しかし神はおそらく、どこまでも歓喜して繰り返す力を持っている。きっと神様は太陽に向かって言っておられるに違いない―『もう一度やろう!』と」  (チェスタトン『正統とは何か』「おとぎ話の倫理学」より)。

 気が付けば一学期もあと数週間。雲間から夏の太陽が顔を覗かす日には水遊び・泥あそび。七夕の日はお誕生会お庭にプールも出せるかな?。ほし組さんは(園では4年ぶりの)お泊り保育ががもうすぐですね。三愛の子どもたち一人一人、どんな成長を見せてくれるでしょう?神さまの励まされる声を聴きつつ、みんなで一緒に元気に過ごして行きましょう。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年夏期号)

月の聖句:

     わたしは雲の中にわたしの虹を置く。

               創世記9章13節

 No rain, No rainbow (雨が降らなきゃ虹は出ない)。ハワイの諺です。虹は雨上がりの空にかかる七色の「橋」とイメージしますが、英語では「雨の弓」と綴るのですね。今月の聖句、ノアの箱舟物語の結びの神様の約束の「虹」もヘブライ語は「弓」と綴ります。全世界を覆い全てを滅ぼした洪水は、混沌の水を分け造られた天の大いなる深淵を射る神様の怒りの矢によって起こされた大雨によるのです。しかし引いた弓を今や置く。虹はまさに永遠の平和のしるしです。そして神様の虹が置かれるのは天の神様が居ます大きな厚い雲の中になのです。

 先日、キリスト教保育連盟のズーム会議に参加しました。同じ志で保育を営む代表者の会議です。意見交換の折、気になる子どもたちが増えていると、多くの先生方が語られました。より良い保育を目指す会話の中ですが自ずと「発達障がい」「グレー」といった単語が出てきます。ある先生から「キリスト教保育をなす私たちがそういう言葉を当たり前に口にするのはどうか」と注意喚起がありました。気づかされたその場で「虹色な子どもたち」という提案を教えていただきました。(明星大学教授・音楽療法士の星山麻木先生のご提言です。)

 虹色は何色?赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色と私たちは数えますが、巷で目にするようになったレインボーフラッグは六色。欧米人はそう数えるそうで、色分け好きな日本人らしさかなもと思います。ちょっと調べてみたところ2色から8色まで数え方は国により様々です。それもその筈、本当の虹は細かい水粒が生む光のプリズムのグラデーションで色の拡がりは無限大。本当にいろんな色を集めて、神様は初めの光をお造りになり、それを「良し」とされたのだ、と思います。

 今年は早くからの暑さに遅ればせながら付けた園庭のミスト。水遊びのシャワーに「虹が見えたよ」と子どもたちの元気な声が挙がります。三愛の子どもたちも本当に色とりどり。ともすると色分けしたり、教師の良しとする色に染めたいと願う誘惑に抗って、一人一人の個性を受け止め伸ばす保育を為していきたいと願います。

 夏休みが始まります。園庭からの元気な声がしばらく聞こえないのかと思うと、少し寂しい気にもなりますが、夏休みにその子らしく一回り大きく成長した子どもたちみんなと、夏期保育で会えることを楽しみにしています。ご計画されている夏のご予定、家族で過ごされる日々が、神さまのお守りの中で、豊かに祝福されますようにお祈りいたします。 

                         園長 山本 信義

6月
4月
三愛だより(2023年4月号)

月の聖句:

  子供たちをわたしのところに来させなさい。

マルコによる福音書 10章14節 

 春休みに満開だった桜、「おうち」のキウイの枝は柔らかな葉を伸ばし、卒業生が植えたチューリップを始め色とりどりの花々が先揃い。すっかり春の陽の光の下、5匹のウサギも元気一杯で幼稚園(子どもたちの庭)の園庭はみんなを迎える準備万端です。三愛の子どもたち今年は36人でスタートします。 

 お家を離れて子どもの時間を始める新入園生は勿論のこと、進級する在園生もきっとドキドキしているこの春とも思います。沢山の制限ある日常が普通になってしまったこの3年。「怖いコロナはもうおしまい、マスクも要りません」と言われても正直まだ様子見のことも多い中、迎えた新年度です。園にお送り下さる子どもたち皆に良いことを第一に、ご家庭の皆さんのお声もよく伺い安心安全を見極めて、コロナ後の三愛らしい触れ合いに満ちた園の営みを一つ一つと取り戻して行きたいと切に願います。

 4月の聖句は、ご自分の下に子連れで来た親を咎める弟子たちをこそ強く諫めたイエス様のお言葉です。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」。そう言い一人一人の子を抱き上げ祝福された方がイエス様です。このお姿の映し出される保育を教職員一同共に紡いで行きたいと願います。妨げを一つ一つ解いて触れ合いを大切に、イエス様の愛の中、先生・お友だちが大好きになって、笑顔いっぱい思い切り遊ぶ中で育まれる三愛の毎日をもっと!

  ♬あっちの家からこっちの家から、

  きみもぼくもあなたもわたしも集まってきた。

  今日もイエスさま ここにいて、みんな仲良く遊ぶ。

  楽しく始まるようちえん♫(『こどもさんびか』より)

 子どもを招くイエスさまの三愛幼稚園の新しい一年、みんなで一緒に元気に過ごして参りましょう。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年6月号)

月の聖句:

        主はわたしたちを造られた。

                          詩編100篇3節 

 幼い子には少し難しい当園名「さんあい」。多くのキリスト教主義学校が掲げる聖書の教え「神を愛し、隣人を愛する」にもう一つ「土を愛する」を加えたものです。酪農国デンマークから日本の農学校に伝えられた運動のモットーだそうです。でも(小さなプランターはありますが)畑なんて無い幼稚園が何故「三愛」なのでしょう?

 三愛幼稚園では日々の保育で子供たちが思い思いに遊ぶ自由な時を大切にしています。砂場遊びは人気の一つ。大きな山を築く時、お友達と協力する喜びも覚えます。水で練って泥団子を作る仕方を相談したり、お道具を譲り合うやさしい心を育みます。園庭では草花の陰に小さな虫を見つけ、木の実や葉っぱを集めます。五匹のうさぎも大人気。お庭の葉っぱ・お家から持ってきた人参やキャベツをあげて小さな命と触れあいます。

 どの園にもある日常かもしれませんが三愛ならではの「土を愛する」営みだと思います。先生たち・お友達と一緒の「土を愛する」目に見える体験から目には見えない「人を愛する」優しい心「神さまを愛する」尊い心が一人一人の子の内に育まれると考えているからです。それを心静かに礼拝の時に確かめます。「三愛」って、やっぱり私たちの園にぴったりの名前だなぁと思います。

 「主はわたしたちを造られた」。今月の聖句も三つめの「土を愛する」と関わっています。聖書の最初には人が造られた次第がこう記されるからです。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」(創世記2章7節)。天地創造で造られた世界の全てを「これは良い」と喜ばれた神様は、そこに生きる「人」を造るのに「土」を用い、ご自身の愛を注ぐ「良い器」とされました。泥で造った土の人には神さまがフーッと息を吹き入れました。すると人は「生きる者」になりました。神さまの息が命そのものなのです。人はただ生きるのではなく、神さまに息吹き込まれて活き活きと生きるのです。それで、聖書の元々の言葉では、息・風と、いのちそのものである魂・霊は同じ言葉であらわされます。

 教会ではペンテコステ(聖霊降臨日)という日を覚えて今月を迎えました。神さまの息である聖霊が注がれて、イエス様の弟子たちが新しく生き始めたことを記念する日です。これからやって来る梅雨の合間に吹く爽やかな風にいのちの息を感じて、三愛の子どもたち一人一人が、活き活きと育まれていかれますように。夫々のご家庭に、神様の祝福を祈ります。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年10月号)

月の聖句:

     羊は一人の羊飼いに導かれ、

            一つの群れになる。

            ヨハネによる福音書10章16節

 土曜の秋分の日の運動会、前夕から朝までの雨模様で、午後の開催となりましたが、終わりのリレー前には曇間に一時陽も差す園庭で行うことが出来ました。小さな子には負担も多い時間帯となってしまいましたが、ご家庭の方々のご理解とご協力で、三愛の子一人一人、力を存分に発揮して、和やかで楽しい時を過ごせたこと感謝です。来週はみんな楽しみのお芋ほりです。ネコの目の様に変わりやすい秋の空でも、守られて秋の実りのお芋を袋一杯に持って帰れると良いですね。

 運動会のさんびか「ちから」にはいろんな力が出てきます。「元気な力・遊ぶ力、助ける力、信じる力・生きる力」。多様な力を「みんなといっしょに」と歌います。今月の聖句「一人の羊飼いに導かれ、一つの群れとなる」の「一つ」も「皆と一緒に」なのだなあと思います。

 キリスト教主義の園出身で他園の園長に(随分お年で)なられた方のお話を伺いました。「鼓笛隊は止める」という約束で難儀な務めを担うこととされたそうです。秋の発表会でありがちな、音や声をピシっと揃えた合奏や合唱やダンス、私たちはそんなことをそもそも求めません。観にきた人たちが「スゴイ」と喜びそうな発表の陰には、「したくない子」や「ついて行けない子」の負担が必ずあるからです。いろんな子たちの思いを大切に聞いて伸ばす園と私たちの園もなりたいと願います。

「わたしは良い羊飼いである」と言われたイエス様は、今月の聖句が記される章で「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊たちもいる。その羊たちも導かねばならない」と言われました。その羊たちも「わたしの羊で」「わたしの声を聞き分ける」からだと。それは「羊たちが命を受けるため、しかも豊かに受けるため」に襲い来る狼と闘って羊を追い散らさぬように「自分の命を捨てる」良い羊飼いの羊を心にかける「愛」の現れです。

 「神と人と土を愛する」子どもは「泥んこになって、仲良く、お祈りを知って」育つと私たちは「三愛」という園名を受け止めて来ました。本当に個性豊かな三愛の子どもたち。新川沿いの畑の土に見つけるお芋は勿論、砂場の土の園庭で思い思いに遊ぶ園の毎日の中でこそ「みんなと一緒に」それぞれのちからを大きく育てて、一人一人が豊かに実を結ぶ十月ととなりますように。神様からの祝福をお祈りいたします。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年9月号)

月の聖句:

     人はパンだけで生きるものではない。

            ルカによる福音書 4章4節

 日本列島のどこでも、酷暑に突然の土砂降りと厳しい今年の夏でしたが、各ご家庭で、子どもたちは色んな経験が出来た夏休みだったと思います。帰省でお爺ちゃんお婆ちゃんと久しぶりに会えた子・家族で旅行に出かけた子がいることでしょう。中でも楽しい思い出は食事の場だったのではないでしょうか。(園では注意しつつもなるだけ抗いましたが)アクリル板や「個食・黙食」が子供たちの日々のお昼に強いられたこの数年を思う時、「人はパンだけで生きるのではない」。イエス様のお言葉を実感します。ただ食べるだけでなく、皆で囲む食卓での笑顔の語らいが私たちを活き活きと生かすのですね。

 イエス様は神様の福音を伝えるに先立って、四十日間荒野で、悪魔から誘惑を受けられました。お腹が空いたイエス様に「神の子ならこの石に命じてパンにしてみせろ」と悪魔は誘惑します。この試みを退けて言われたのが今月の聖句です。イエス様は(旧約)聖書の一節を引いて言われました。四〇年間荒野を旅した神さまの民に向けての言葉です。この聖句には続きがあります。「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを知らせるためだった」と続くのです。エジプトを脱出しての荒野の旅で、人々はマナという食べ物を食べました。天から毎日降った不思議なパンです。神様は一人一人を養って四〇年もの長い旅を導かれた。それを決して忘れないで。イエス様がこの聖句に聞かれたことです。

 「三愛」の一つめの「神さまの愛」に込められた意味を、前々園長は「お祈りを知って」と言い表されました。一学期にほし組さんが覚えた主の祈りの中に「我らの日用の糧を今日も与え給え」とあります。聖書の元々の言葉では「必要なパンを」とあるところを(子どもじゃなくても難しい)「日用の糧を」としています。イエス様は、毎日いただく食べ物を通して、ただ空腹だけでなく、私たちを本当に満たして養う「糧」を下さいと、神さまに祈ることを教えられたのだなあと受け止めます。

二学期が始まります、まだ残暑がしばらく続きそうですし、コロナへの警戒も完全には緩められない中ですが、実りの秋を過ごして行きます。運動会に始まる多くの行事を工夫しながら計画しています。子どもたちのからだだけではなく、心を養う神さまからの豊かな実りをいただいて、みんなで喜ぶ経験を分かち合っていきたいと願います。祝福をお祈りいたします。

                         園長 山本 信義

三愛だより(2023年11月号)

月の聖句:

     地はお造りになったものに満ちている。

                 詩編 104篇24節

 あの酷暑から急に晩秋となった感のある先月初め。お芋ほりでは子どもたち皆袋一杯に抱えきれないほどの立派なお芋を掘り当てました。先週末ほし組さんはピートの森(何処でしょう?)に、なくしたボタン探しのぼうけんに元気に出かけました。爽やかな秋晴れの週日には花島公園に全園児でお散歩に。広い芝生を存分に駆け回ったり、木登りしたり、可愛いドングリをボトル一杯に集めたり…豊かな秋を存分に味わうことが出来ました。

 そんな先月、礼拝では「森もお山も」(ひつじ)・「お空でひかる」(ゆり)・「その数いくつ」(ほし)、それぞれ元気に歌いました。いずれも神様がお造りになられた沢山のものを謳うさんびかです。聖書のはじめにはその通り神さまが全てを造られた一週間が書かれます。昼と夜、上には空と、下には海と大地、森の草木とその実り、太陽や月や星、そこに生きる動物たち、そして私たち人間を。ご自分で造られた一つ一つを眺めては「これは良い」と神様はお喜びになられた、と。

 今月の聖句もそのことを謳う詩の一節です。「地はお造りになったもので満ちている」。「沢山あるよ」と言うだけではありません。この詩には続きがあります。神様が大きな手を開かれると生き物みんなが「良いもので満ち足りる」と。お造りになった「良いもの」を神様からいただいて、わたしは満足です。食べ物も生活も、そして命も、神さまが下さった大切な宝物。「神さまは良いものを下さった」。この詩は、創られたものを賜る神さまを誉め称える感謝の詩なのです。

 十月のお誕生会、ほし組さんはおやつの茶巾しぼりを掘ったお芋で園のみんなの分も作りました。今月は暖かい豚汁も作ってみんなで美味しくいただくようですよ。この数年、なかなか出来ずにいた「食」のプログラムも少しずつ取り戻しつつ、みんなでいただく喜びを確かめる、園の保育を紡いでいきたいと願っています。

 深まる秋の中、収穫感謝(サンクス・ギビング) 礼拝・クリスマスに備えするアドベントに向かいます。お腹と共に心も満たされ満ち足りて、三愛の子供たち一人一人が健やかに育まれていきますように。それぞれのご家庭に、神さまの祝福をお祈りいたします。  

                         園長 山本 信義

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