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三愛だより(2018年1月号)

月の聖句:  

「見よ、わたしはあなたと共にいる。

                 創世記28章15節

 新しい2018年を迎えました。冬休み、いかに過ごされましたか。私は明けて郷里金沢で数年ぶりに雪のお正月を過ごしました。着いた夜には夜空に輝くスーパームーンでお月見できたのに、翌晩は軽のレンタカーのボンネットに2時間で積雪20㎝! 北陸の冬は侮れません。帰省の車窓からは夕空を背に富士山の広がる稜線がくっきりと。北陸新幹線からも見えるのですね。

 一富士・二鷹・三なすび…、お正月に見れたら幸せな初夢だそうですが、聖書にも夢を見た人が出て来ます。ヤコブは寂しい旅の途中で神さまからの夢を見ました。天国に届く階段が地に向かい伸びていて、天使たちが上ったり下ったり…不思議な夢です。その時神さまの声がそばで聞えました。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」。神さまがいつも私たちと共にいて下さる。この神さまの約束は、神さまが天からイエス様を下さったクリスマスという出来事で果たされました。

 クリスマスで迎えた冬休みを終え、一年の締め括りの三学期が今日から始まります。神さまに守られ夢一杯の、一つ一つの行事・日々の保育となりますように。三愛の子どもたちみんなが素敵な夢を見られますように。

                         園長 山 本 信 義

三愛だより(2018年2月号)

月の聖句:  

  愛はすべてを完成させるきずなです

                 コロサイ人への手紙3章14節

 連日朝は氷点下以下、関東で記録的な寒波が続いています。始まりの月曜夕方、もう雪は降り出してたのに、雪国育ちの過信から車で買い物に出てしまい、花見川のスーパーを出ると一面銀世界。ノーマルタイヤの我が車は東小学校前の坂さえもスリップで登れず路肩に停車。己の不注意・学習能力の無さを猛省する中、安全を考え車中電話協議して火曜を休園とさせていただきました。それでも「園庭で思いっきり雪遊びできたら楽しいのにな」と心中よからぬ思いもよぎる園長でしたが。

 休園日明けの水曜日。今年の雪はさらさらで屋根にたっぷり残り、カキ氷屋ごっこに雪合戦と、子どもたちと思いっきり楽しむことが出来ました。年長児作の雪だるまは寒波のお蔭で随分長く可愛い姿を留めていました。寒さに負けず、思いっきり遊ぶ、逞しいさんあいの子どもたちの姿をまた目にすることが出来ました。

 幼稚園で身につけたいこと。改定される幼稚園教育要領では「非認知的能力」という捉え方が盛り込まれました。所謂早期教育重視の園が売りにするお勉強、測定可能な「認知的能力」より、意欲・自信・忍耐・自立・自制・協調・共感などの心の部分である目に見えない「否認知的能力」をこそ幼児期には育むべきだ。そのために自己肯定感や基本的信頼感をこそ園の中で育んで行くべきという考え方です。園長講習会で聞きキリスト教保育がずっと大事にしてきたことが、文科省の教育要領に盛り込またと知り、励まされる思いになりました。

 今月の聖句の聖書の言葉は先ず「あなたがたは愛されている」という呼びかけから始まります。だから「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と「これら全てに加えて、愛を身に着けなさい」と。そして「愛は」と聖句の言葉が続くのです。「神と人と土を愛する」三愛を掲げて「泥んこになって、仲良く、お祈りを知る」子どもたちが育まれるようにとのこの園の願いを改めて示される聖句だと受け止めています。

一年の締めくくりの3学期はあっという間に半ばを迎えました。寒さの中、インフルエンザ感染が日々心配ですが、年長ほし組は卒業の準備へと向かって行きます。三愛の子どもたちに神さまが注いで下さる愛に守られて、元気に、確実に、身に着けた愛を確かめながら幼稚園での残りの日々を大切に過ごして行きたいと思います。祝福が豊かにありますように。

                          園長 山 本 信 義

1月
三愛だより(2018年3月号)

月の聖句:  

  あなたの未来には希望がある

                 エレミヤ書31章17節

 三学期も最後の三月。三寒四温を繰り返しながらも、着実に春は近づき、幼稚園も一年の締め括りを迎えています。ほし組の子どもたちは、マジック・ダンスと巣立ち会の出し物の練習に日々熱が入って来ています。送り出すゆり組・ひつじ組も、お別れ会の出し物の準備に取り組んでいます。あと数週間でいよいよ卒業です。

 三愛幼稚園では、卒「園」ではなく卒「業」と呼びます。二年・三年過ごした幼稚園という「場所」にただサヨナラするだけでなく、三愛の子が園での毎日、友達や先生たちと遊んだ中で見つけたり、出来るようになったり、身に着けた「こと・業」を確かめて、送り出すときと考えるからです。でも本当に確かめたいのは、見えるそれらを味わう中で、楽しんだり、頑張ったり、時には悔しかったり、我慢したり…、それぞれの子の心が豊かに感じた一つ一つのものです。「わたしたちは、見えるものでなく見えないものに目を注ぎます」(Ⅱコリント 4・18)。それが、小学校に、さらに先へと、これから育ち行く子どもたち一人一人の未来の確かな力・糧となることを心から願いますし、また私たちは信じています

「あなたの未来には希望がある」。3月の聖句は神さまが言われた御言葉です。明るい未来があると神さまは言われます。能天気に気安く言われたのでしょうか? いいえ、神さまがこう言われたのは、故郷を失い、遠い国に無理やり連れて行かれるユダヤの人たちにでした。ギリシャ神話の、ありとあらゆる悪や災いが飛び出した後のパンドラの箱の底に残ったのと同じ希望でしょうか。いいえ、「山には険しい」「どんな時でも」卒業式の讃美歌に歌われるのが、聖書の神さまが語られた確かな希望です。進み行く子どもたちの一歩一歩を励ます希望です。

 卒業生に聖書を贈ります。子どもたちが手にする新約聖書にも勿論、希望は記されます。

 「私たちはこのような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰がなお望むでしょうか」(ロマ8・24)

 「私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません。」(ロマ5・4)

 イエス様の愛に根差したこの希望に信頼して、巣立ちゆく子どもたちに「あなたの未来には希望がある」、この御言葉を心から贈ります。一人一人の三愛の子どもたちとそのご家庭に祝福がありますように。

                          園長 山 本 信 義

2月
三愛だより(2017年11月号)

月の聖句:  二人または三人がわたしの名によって

          集まるところには、私もその中にいる。

                 マタイによる福音書18章20節

 今年は悉く雨に見舞われている園行事。十月も異例の長雨に台風21号直撃で、ほし組の冒険ごっこも延期続き。主任共々頭を悩ます日々でしたが、印西市にある東京基督教大学(TCU)のご好意でキャンパスをお借りでき、漸く行うことが出来ました。例年の保品の田畑沿いとは勝手の違うこじんまりしたコースでしたが、当日は快晴の秋空の下、子どもたちは存分に冒険を楽しめた様子でした。私たちの急な申出にも関わらず、TCUの皆さんも冒険する子どもたちを喜んで迎えて見守って下さいました。第四グループのゴール直前、大学チャペルの高い塔から鐘が響き渡って、まるで「エルタとドレミの結婚式」をお祝いしているみたいでした。今回ご配慮・ご協力を賜った多くの方々に心より感謝いたします。

 今月の聖句「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」は、マタイ福音書で「小さな者」へと心を向けられるイエス様のお言葉です。この章の初めで「天の国で一番偉い(原語は大きい)のは誰?」と競い合う弟子の真ん中に、イエス様は一人の子どもを呼び寄せ、立たせて言われます。

 「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイ18章1~5節)。

呼ばれたこの子はどんなに誇らしかったことでしょう!

 イエス様は「迷子の小羊」の譬えをここで語られます。「小さな者を一人でも軽んじない」ことが「天の父」なる神さまの「御心」なのです。そして「教会」との言葉もここに出て来ます。「教会の幼稚園」である我が園の立つところが示されているものと受け止めるものです。

 例年七五三に併せて行われる10日の子ども祝福式にも、年齢にこだわることなくお子様をどうぞお送り下さい。一緒にいて下さるイエス様の祝福を受け、みんなで子ども達一人一人の成長を喜び祈る時にしたいと願います。今月はいよいよクリスマスの準備が始まります。わたしたちのために誰よりも小さくなって、飼い葉桶の赤ちゃんになったイエス様をお迎えする準備を始めます。それぞれのご家庭に祝福がありますように。

                              園長 山 本 信 義

11月
三愛だより(2017年12月号)

月の聖句:  

「いと高きところには栄光、神にあれ。

       地には平和、御心に適う人にあれ。」

                 ルカによる福音書2章14節

 いよいよイエスさまがお生まれのクリスマスがやってきます。クリスマスまでの一月間をアドベント(待降節)と呼んで教会では準備を始めます。「アドベント」はadvenire(到来する)というラテン語の言葉から来ています。「目標に向かいad身を傾けるvenire」。ここから「アドベンチャー・冒険」と言う言葉も生まれました。神の子イエスさまが粗末な馬小屋で飼い葉桶の中に。私たちにイエスさまを救い主として贈り届けて下ることは確かに、神さまの大変な冒険だったに違いありません。

 先生たちは一足早くキ保連のクリスマス会に参加しました。礼拝で最初に馬小屋に訪れた羊飼いたちについて聴きました。天使の告げた通り「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」のイエス様のお姿に、荒野で「野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた」貧しい羊飼いたち羊飼いたちはきっと我が子の誕生と同じと想い起したのだと説教で聴きました。「神我らと共にいます(インマヌエル)」。これがクリスマスのメッセージです。

 幼稚園でもアドベント・クランツに一つずつ灯を点し

「一本目のローソク、やさしい心をもてるように

二本目のローソク、丈夫な心をもてるように

三本目のローソク、我慢する心をもてるように

四本目のローソク、お祈りする心をもてるように」

と数えながら、この時を過ごします。イエス様を私たちに下さった神さまの心が重ね合せられて、子どもたち皆の心が整えられ、育まれて行きますように。

クリスマスの夜、空では天使達の讃美が響きました。 

「いと高き所には栄光、神にあれ。

地には平和、御心にかなう人にあれ。」

 この今月の聖句前半を、ほし組もページェントでなんとラテン語で歌います。Gloria in excelsis Deo!と。「小さな小さなクリスマス」は神さま御心にかなうものだから「気高いまことのクリスマス」だったのです。

 ほし組のみんなは役も決まってページェントの練習に打ち込んでいます。ゆり組・ひつじ組でもダンス・合奏に取り組み始めました。「上手に出来るかな」って、きっとご家庭でも一生懸命練習していることと思います。心配で緊張している子もいるかもしれませんね。でも、お家の方も勿論先生たちも楽しみにしてます。何よりも神さまが楽しみにしておられます。「御心に適う」とは「神さまが喜んで下さる」という意味なのです。みんなで嬉しいクリスマスを、お生まれのイエス様をお迎えいたしましょう。

                              園長 山 本 信 義

12月
三愛だより(2017年10月号)

月の聖句: アブラムは主の言葉にしたがって旅立った。

                      創世記12章4節

 「ケロケロケロ カエルは雨が好き♪」テーマのエルタにはピッタリな(?)生憎のお天気の中、二学期最初の一大行事の運動会を行いました。エールに始まりかけっこ・ダンス・玉入れと、歓声が体育館一杯に響き渡りました。園活動の「運動会ごっこ」で毎日のように繰り返してきた競技ですが、本番当日がどの子も一番生き生きと出来ました。開会式の讃美歌に謳われる「元気な・遊ぶ・助ける・信じる・生きる」「ちから」を夫々の子が皆と一緒に発揮する姿に感謝です。会場の体育館も去年午後から移動の経験済みで、反省も生かして今年は準備万端。ほし組リレーは雨上がりのグラウンドで行えました。広いトラックを全力で走ってバトンを繋ぎ、白熱した競走をみんなで応援しました。片付けが終わった頃にはお日さまが差した充実した一日、委員・係をはじめ保護者の方々にも沢山助けていただき、有難うございました。

  運動会を終えて今月は、お芋ほりに年長は冒険ごっこ、教会の家族礼拝と三愛バザー、いよいよ本格的に幼稚園は動き出します。それぞれの行事を通して、子ども達みんなが神さまから頂いた力を存分に活かし伸ばして行けますように。一人一人の健やかな成長を支えて行けるよう、幼稚園をより良く整えて行きたいと思います。

  「アブラムは主の言葉に従って旅立った」。旧約聖書から今月の聖句が与えられました。「わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを祝福し、あなたの名を高める」。神さまの祝福を信じて動き出し、歩み出したこの一人の人の話です。進み行く旅の折ごとに神さまは、西南北に無限に広がる大地を、夜空に広がる無数の星を示し、彼を励まされました。「広がる砂粒を、星の数を数えてごらん」と。数え切れない全てをその手に治めておられる神さまご自身の祝福を約束して下さったのです。長い旅の果てすっかりお爺さんになったアブラムに一人息子が生まれた時、アブラムはアブラハムという名になりました。神さまからいただいた「この民の父」というお名前です。祝福の源となったこのアブラハムのお話はイエス様のお誕生に続きます。神さまが下さる決して尽きない希望の約束の物語です。

  三愛幼稚園の二学期はこのクリスマスへと向けて営まれていきます。日々の保育が、神様からの恵みを数えて歩む、10月となりますように。

                              園長 山 本 信 義

三愛だより(2017年9月号)

月の聖句: 「求めなさい。そうすれば与えられる。」

                  マタイによる福音書7章7節

 八月も終わり近くになって、ようやく戻ってきた夏らしい日差しの下、三日間の夏期保育が行われています。初日はスイカ割りにシャボン玉。いつもの八百屋さんが「これは割る用ね」と届けて下さった小玉スイカも思いの他甘く沢山いただきました。苦手な子も一口チャレンジ!みんなで食べると美味しいね。二日目のプールも、この天気なら思う存分に楽しめそうです。ひと月ぶりの園庭にも、子どもたちの元気な声が戻って来ました。

 「チェーンネットの色が変わった!」。見つけた子の声に、みんなの目が輝きました。何時も園を助けて下さるSさんが、暑かった夏休みの初めに毎日朝から通ってボランティアできれいに塗って下さったのです。教会の人たち・近所の方々・卒業生、保護者の皆さん…、三愛に心を注いで下さる沢山の方々の助けが与えられ、この幼稚園が支えられていることを改めて思い、感謝です。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる」。「求めよ」とイエス様が教える今月の聖句は良いものを必ず下さる神さまを知っている者の信頼に深く根差しています。

 「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書7章9~12節)

 三愛幼稚園は小さいけど神さまが与えて下さった子どもたちの園です。集う子どもたち一人一人が神さまが下さった宝物です。新年度募集も始まる季節、運営者の立場としては悩ましいことも少なくありませんが、祈りつつ、求めつつ、神さまが備えて下さっている良いものを見つけて、喜んで、過ごして行きたいと思います。

 記録的な雨続きだった今年の夏。でも、子どもたちはそれぞれのご家庭で豊かな時を過ごされた様子ですね。九月最初の行事は運動会。今年は雨でも順延なし、東小体育館で行う計画です。雨が好きなカエルのエルタがテーマですけど、良いお天気になりますように。良いものを下さる神さまにお祈りして、子どもたちと一緒に準備を進めて行きたいと思います。

                              園長 山 本 信 義

9月
10月
三愛だより(2017年夏期号)

月の聖句: 「しかし必要なことはただ一つだけである」

                   ルカによる福音書10章42節

 梅雨明け宣言はまだ聞かれぬ中で、眩しい夏の陽射しが朝から園庭を照らすこのところです。今年は七夕の日も青空の下、短冊を飾った笹をバックに記念写真を撮ることが出来ました。「教会の幼稚園が七夕様?」と少しは感じつつも、園では季節ごとの風習を子どもたちが味わうことも大切にしています。海外からの一時入園の子も併せ八人が並ぶ誕生会で、子どもたち一人一人の願いを本当に聴いて下さる神さまのお話をし、お祝いしてお祈りしました。その折ここでは夏本番先取りのお天気でも、九州では豪雨で大変な目に遭っている方々のことも覚えました。神さまがみんなをお守り下さいますように。一学期最後の来週のほし組のお泊り保育。週間天気予報は微妙ですが、良いお天気が与えられますように。

 子どもたちには大きな事故やトラブルが無く、夏休みを迎えられることを感謝します。初めての幼稚園での集団生活を過ごしたひつじ組は目に見えて逞しくなりました。ゆり組・ほし組の一人一人も、五月に植え毎日お水をあげて、お家に持って帰った朝顔・ホウセンカの鉢植えの様に、それぞれに相応しく頼もしく成長しました。それぞれの子の笑顔に応えられる様、園も必要なものを一つずつ、夏休みの間にも整えて行きたいと思います。

 夏休みが始まります。園庭からの元気な声がしばらく聞こえないのかと思うと、少し寂しい気にもなりますが、夏休みを終えてまた一回り大きく成長した子どもたちみんなと、夏期保育で会えることを楽しみにしています。ご計画されている夏のご予定、家族で過ごされる日々が、神さまのお守りの中で、豊かに祝福されますようにお祈りいたします。   

                              園長 山 本 信 義

三愛だより(2017年7月号)

月の聖句: 「天よ、喜び祝え、地よ、喜び躍れ」

                       詩編96編11節

     パラパラおちる雨よ雨よ。

     パラパラパラと なぜ落ちる。

     乾いた土を やわらかにして

     きれいな花を 咲かすため

 この歌の作者の中田羽後は、敗戦のどん底、自身も失意一杯で乗った大阪行き列車の窓の外に広がる一面の焦土を眺めたとき不意に出てきたと、回想しているのだそうです。三愛でもこの季節「今日はお庭で遊べないけど、お庭の草木は雨を喜んでいるね」と礼拝で歌います。雨の日こそ教師たちには限られたところで遊びの場を提供する腕の見せ所。(ただでさえ!)小さな園に、新しい遊びを見つけた子どもたちの喜々たる声が一杯に満ち溢れます。気分の乗らない雨降りもお日様と変わらない神さまからの恵みだと改めて気付かされます。

 「天よ喜び祝え、地よ喜び躍れ」。その喜びの源は「主を迎え」ることと詩人は続けて、海に野に森に呼びかけます。そこに満ちて在るすべてのものたちにも…。旧約聖書の初めに記される天地創造と同じ順番です。神さまが先ず呼びかけてこれら全てを造られ、造られた一つ一つを見て神様は「良かった」と言われました。今月の聖句に創世記の物語を併せて、英国の文筆家チェスタートンのこんな一文を思い出しました。

 「面白い遊びや冗談が見つかった時、子供はどうするか。同じことを飽くこともなく繰り返しているはずだ。子供がリズムに合わせて足で地面を蹴りつづけるのは、活力が足りないからではなく、ありあまっているからだ。子供は活力にあふれているからこそ、力強く自由な精神に恵まれているからこそ、同じことを何度でも繰り返し、繰り返しつづけて飽きることを知らぬのだ。子供はいつでも『もう一度やろう』と言う。大人がそれに付き合っていたら息もたえだえになってしまう。大人は歓喜して繰り返すほどの力を持たないからである。しかし神はおそらく、どこまでも歓喜して繰り返す力を持っている。きっと神様は太陽に向かって言っておられるに違いない―『もう一度やろう!』」(『正統とは何か』より)。

 神さまが呼び集めて下さった子どもたち一人一人と、三愛幼稚園は、あと数週間になる一学期を過ごして行きます。雨雲の間から夏の太陽が顔を覗かせてくれる日にはプールで水遊び。七夕の日はお誕生会。ほし組さんは、お泊り会がもうすぐですね。喜んで下さる神さまの声が聞こえてくるような七月となりますように。みんなで喜び楽しんで今月過ごして行きましょう。

                              園長 山 本 信 義

7月
夏期
6月
三愛だより(2017年4月号)

月の聖句: 「あなたがたに平和があるように」

                               ヨハネによる福音書20章19節 

 いよいよ、三愛幼稚園の新しい一年が始まります。卒業生が植えた可愛いチューリップも、大きな木の桜も花を咲かせ、園庭はみんなを迎える準備万端です。みんなが新入園の年少さんのひつじ組は、担任の先生も新任です。ゆり組・ほし組にも新しいお友だちが加わりました。園も今年から学校法人に新しくなりました。52人でいっしょに新しい一年を始めます。 

 「○○ちゃん、お早うございます」。朝のあいさつの声で園の一日が始まります。おおきな声のあいさつで迎えること、その子がいただいたお名前でちゃんと呼ぶことの大切さを、新学期に先立つキ保連春の研修会で保育者一同改めて確かめました。お家を離れ、子どもたち同士での時を初めて過ごす新入園の子どもたちは勿論、新しいお友だちを新しいクラスで迎える子どもたちも(先生も!?)心配で、ドキドキしているかも知れませんね。毎朝園庭に響く元気な挨拶に迎えられ、きっと聞こえてくる泣き声も元気に遊ぶ声に変って響き渡ることを、園長は期待し楽しみにしています。

 四月の聖句は、今月迎えるイースターに、復活したイエス様が真っ先に弟子たちに向けた挨拶です。「あなたがたに平和があるように」。ヘブライ語で「シャローム」はユダヤの普通の挨拶です。でもその日の挨拶は特別です。イエス様を十字架に見殺しに、怖くて部屋に閉じこもる弟子たちの真ん中に。告げられたのです。「大丈夫だよ。安心して」。優しく届いて強張った心を和らげ、閉ざされた心を開いたのです。イエス様の声が子どもたち一人一人の心に届いて響く三愛幼稚園の毎日となりますように。

       園長 山 本 信 義

三愛だより(2017年6月号)

月の聖句: これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。

                                       詩編118編23節 

 「明日は遠足」とみんなが楽しみにしていた5月24日。終礼時の天気予報では船橋は曇り。「きっと行けるね」と備えて教師たちも解散しましたが、日付が変わる頃からポツポツ雨が落ち初め…、今年度最初のまちcomi連絡は雨天延期のお知らせとなりました。

 運動服姿で登園の子ども達の中には、見るからに落胆した顔も。空から小雨の落ちる園庭を横目に、開口一番「遠足行けなくて泣いちゃった」と報告する子もいれば、「遠足なんて別に」と強がってみる子も。それだけみんな楽しみだったのだよね。「今日は何するの」と切り換えが上手な子もいて、クラスみんなが揃い、担任が工夫を凝らしたピクニックごっこが始まってみんなでお弁当を広げる頃には空は曇りでも子どもたちの心は晴れたようです。いつもと同じ園の中で見つけた喜びがありました。ゆり組は朝顔・ほし組はホウセンカ、それぞれ自分で蒔いた植木鉢に開いた双葉の成長の様子を友達と一緒に誇らしげに確かめあい、新鮮な驚きと共に受け止めていた様子でした。そんな姿にこの園で夫々の子を確かに育てて下さっている神さまの恵みの御業を、改めて確かめる思いがしました。

 今月の聖句の直前の節は「家造りらの退けた石が、隅の頭石となった」と言う言葉です。大工が要らないと捨てた石なのに大きな家が築かれる要の石になったという旧約聖書の詩を、最初の教会を建てた主イエスの弟子たちは「私たちの目には驚くべきこと」と再発見しました。主イエスの十字架の意味をここに見つけたのです。誰かも見捨てられイエス様が死んだのは自分たちのためだったと、復活されたイエス様と出会って分かったのです。驚きと共に自ずと感謝の気持ちが湧いて来ました。神さまがなさった救いの御業を見出だした感謝です。どんな時にも注がれていた神さまの愛への信頼です。

 6月1日が遠足順延日です。今のところの週間予報は微妙で、教師一同頭を悩ませることになりそうです。神さまどうか、良いお天気を下さいますように。今年の梅雨は長くなりそうだとも。どんなお天気の日でも、この園の毎日の中で、嬉しい出来事を一つ一つ見付けて行く良い目を神様から頂いて、一学期半ばの大切な時を、成長していく子どもたちと一緒に過ごして行きたいと思います。祝福がありますように。

                              園長 山 本 信 義

4月
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